032.魂の在り処


“nearly equal, not equal”

2.覚醒と絶望─過去と現在の往復─

 目覚めた瞬間、ジルは泣いていた。寸前まで、あのルーアンでジャンヌ・ダルクが火刑にされる所を目にしていたからだ。
 しかしその目に映ったのは見た事も無い白く無機質な天井だったので、何故自分がこんな所に居るのか理解出来なかった。だがすぐに“彼女”の死を目の当たりにした記憶が蘇り、抑え切れずに慟哭した。その声が──やや低めではあったが──明らかに女の声だった事に違和感を覚えたが、それ以上に“彼女”を助けられなかった事、あらゆるものから見捨てられて殺されたと言う認識が“ジル”の意識を、感情を徹底的に塗り潰していた。
 間も無く意識は沈み落ちたが、それが鎮静剤を射たれたからだと知るのは、2度目の覚醒から更にしばらく経ってからの事だ。
「でもその2度目の眠りの間に、今の“私”に何が起きたか思い出せたから、むしろ良かったのかもね」
「……にしても、かなり凄まじいタイミングだな」
「うん、後で自分でもそう思った」
 次に目覚めた時に、ここが月面基地“ルーン・ルーナエ”付属の病院で、更に出場する筈だったオリンピックが既に終わってしまった事を伝えられた。
 だがその時のジルは、それについて何の反応も示さなかった。まだ“ジル・ド・レ”だった頃の記憶が支配的だった為に、“彼女”が死んだと言う喪失感から来る絶望が強過ぎたからだ。
「そりゃあ“私”の方はショックだったよ。だって出場が決まってすっごく楽しみにしてたし、練習だって会場を想定して色々やってたんだから。
 ……それでもやっぱりあの時は“ジル”の意識の方が強くて、ジャンヌが火刑にされた事の方がずっと辛くて悔しくて、哀しかった」

 …………

 “彼女”が捕虜になったと言う報せは、あっという間にフランス中に広まった。当然フランス各地に分散させられ戦っていた、オルレアン以来の戦友達の耳にも入った。無論、“ジル”の所にもだ。
 彼等は“彼女”の救出を国王に要請した。だが“彼女”の尽力が無ければ戴冠式に臨む事すら出来無かったであろうにも関わらず、相変わらず無気力な王は側近達の言葉に頷くばかりで、何もしようとしなかった。身代金なら自分達が出すと言っても、当時抑留していたイングランドの将軍1人との交換条件を出す等の案を出しても、“彼女”の存在を快く思っていなかった穏健派の官僚達に悉く却下された。
 “穏健派”と言うと、聞こえはいいかもしれない。だがその実態は国の財政を私物化して私腹を肥やしていると言うもので、戦争になるとその分が懐に入らなくなる事から反対しているだけだった。身代金の供出を渋るのも単に法外な金額だからと言う訳では無く、“彼女”が居る事でその戦友達を始めとする主戦派の発言力が増し、相対的に穏健派の立場が弱くなる事を恐れていたからだ。
 そして何を言っても無駄だと悟った彼等戦友達は──それが王命に逆らうと理解しつつも──“彼女”を救出する為の行動に出た。
 その中で“ジル”は専ら、ラ・イールと共にゲリラ戦を展開した。丁度“彼女”がルーアンの城内に監禁された頃、やはり戦友の1人であるアランソン公率いる軍がこの地方一体において攻勢に出ていた。そしてその為の前線基地が、ルーアンから15キロ程の所にあったのだ。故にこれだけ近くに居ながら“彼女”の救出に向かう訳にはいかなかったアランソン公は、2人がそこを拠点にする事を認めた。
 そうして2人は出撃を繰り返したが、イングランド軍の防御は堅く、それを打ち破れないまま時間ばかりが過ぎた。“彼女”がルーアンで監禁されていると言うだけでは無く、皮肉にもこの前線基地の存在もがそうさせていたのだ。
 その上何度目かの戦闘の最中に、ラ・イールが捕虜として捕らえられてしまった。
 更に“彼女”の処刑が決まり、その執行日時が公布された。
 最早一刻の猶予も無い。1分1秒たりとも無駄に出来ない。そこで“ジル”は手勢の中から厳選した兵を連れてルーアンへ潜入し、“彼女”を奪還しようとした。──だが。
 やっとの思いでルーアンに入った時には、既に“彼女”の身体は火に巻かれていた。
 その炎と煙に、目を疑った。
 それでも、まだ声がするならばと人込みの中を駆けた。だがそれすらも途切れた時、“ジル”は天を仰いだ。
 信じられなかった。信じたくなかった。
 だからもう1度駆け出そうとした。しかし追い付いた部下達に気絶させられ、連れ戻された。彼等はまだ冷静さを残していたので、これ以上は自分達が危険だと判断していた。この街が敵地である以上、この人数で取り囲まれてはひとたまりも無いからだ。
 “ジル”の意識が戻った時、“彼女”の遺骸の灰は全てセーヌ川に流されていた。“心臓だけ焼け残った”と言う噂が流れていた事もあり、せめて僅かな欠片だけでもと思い川に入ったが、取り戻せる訳が無かった。
 ──何が救国の英雄だ。
 本当にそう呼ばれるべきなのは“彼女”の方だ。仲間達も、市井の人々もそう思っている事だろう。
 だが穏健派の思惑で“ジル”がそう呼ばれる事になり、主戦派への牽制の意味も込めて元帥杖まで与えられた。つまりそれはただの操り人形に過ぎず、本来その地位にあるべきリッシュモン卿が宮廷に戻ってくれば、用済として切り捨てられる程度のものだ。
 そんな何の力も無いお飾りでは“彼女”を助ける事すら出来無い。広大な領地も有り余る財力も、こんな時にはまるで役に立たない。己の何と無力な事か!

 …………

「……そして“ジル”の絶望がとにかく深過ぎて、“私”は生きる気力を無くしたんだ」
 当時のジルは医師や看護師だけでなく、見舞いに来た家族に対してすら何の反応も返さなかった。友人や射撃仲間から届いたメールにさえ、目を通す事もしなかった。自らを含めた全てに関心を持てなくなっていた。何もかもがどうでも良かった。
 そんなジルを、周囲や世間はオリンピックに出られなかったからだと考えた。チャンスを逃し、目標を失った事で気力を無くしたのだろうと。
「後であの頃の私の事を書いた記事とか見て笑っちゃったよー。そりゃしょうがないとは思うんだけど、ねえ」
「まあ普通はそう思うわな」
 むしろ勘違いされる様な理由があるだけマシだったのかもしれない。それ程までに、過去の“ジル”の記憶を自らのものとして認識していた。処刑の瞬間そこにいた別の誰かでは無い、あの“ジル・ド・レ”としてその場の空気を感じ、燃え盛る炎を目にし、“彼女”の身体が焼かれていく匂いを嗅ぎ、そうして他の何もかもが認識出来無くなる程、その全てを刻み付けられたのだ。
 ──何故あなたが死なねばならないのか。何故私にこの様なものを見せるのか。
 何度も繰り返し蘇るその光景に絶叫し、慟哭する。その度に鎮静剤を射たれ、やがて“彼女”の幻影を振り切るかの様に、その後の血に酔いしれる日々の記憶に沈んでいった。それすらも事故のショックからだと考えられていたと知るのは、まだ先の話だ。


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