032.魂の在り処
“nearly equal, not equal”
3.記憶の融合─1人の身体と2人の記憶─
だがいつまでも絶望の記憶に嘖《さいな》まれていた訳では無かった。時間の経過と共に現状への──正確には自らの肉体に対する違和感を覚え始めたからだ。
生きている限り、どんな生物でも生理現象からは逃れられない。空腹については点滴によって栄養補給が為されるのでそれ程感じなかったが、排泄だけはどうしようもない。そして当時のジルの様に自ら動けない──動かなかったとも言う──場合はカテーテルが挿入されるので、何度目かのその交換の際に、ようやく自分の身体が“違う”事に気が付いた。
そこで改めて思い出した──何度も慟哭し絶叫したこの声は、女のものでは無かったか?
ジルは慌てて自分の手を胸に当てた。
そこには、明らかに男性体にはありえない柔らかい感触があった。
思わず跳ね起きようとしたが、長期に亙《わた》る寝たきり生活で筋肉が落ちていた為出来無かった。代わりに今胸に触れた手を見ると、病的に痩せ細っているとは言え、戦場やそれ以外の場所で大量の人間を殺したごつごつと骨張ったものでは無く、“彼女”を思い出させる様な華奢な造りになっていた。
「おかしな話なんだけどさ、“私”の記憶がしっかりあって、事故に遭った瞬間まで覚えてるのに、私は私でも“ジル・ド・レ”だってずっと思ってたんだよ」
レドリックからの呆れ交じりの凝視を受けながらも、ジルはあっけらかんと言い切った。
「だから自分は男だって思ってた。だけど今は“私”なんだから女の身体でしょ? それでやっと私は“今の私”が何者なのか思い出したってワケ」
「〜〜随分とややこしい話だなオイ」
「つまり“ジル・ド・レ”としての記憶が戻ってから、私は“今の私”を認識出来無くなってた──見失ってたって事」
「なのに今の文明に何の疑問も持たなかったのか」
「そう。結局今の私の記憶が“私”に疑問を持たせなかった。本当にヘンなんだけど、面白いよね」
中世を生きた過去の“ジル”と、今ここにいる現在の“ジル”、そのどちらの記憶も1人の“ジル”のものだからだろう。
「もしかしたら、たまたま同じ名前で呼ばれてたから、それで余計に気が付くのが遅れたのかもね」
「つっても、流石に医者とか看護師辺りはは名字とかで呼ぶんじゃねえのか?」
「……実は“今の私”を思い出すまで、自分が呼ばれてると思ってなかった」
「…………」
レドリックは呆れ切った視線を向けるが、ジルはそれを無視して話を続ける。
一旦その違和感に気が付くと、歯車が次々と回転していく様に、思考が一気に動き始めた。過去の“ジル”の最後の記憶と、現在の“ジル”に至る迄の長い空白の時間。事故に遭ったのをきっかけに思い出したにせよ、それは過去の“ジル”の常識からすれば異常な事態だった。
──あの時間違い無く私は絞首火刑となって死んだ筈だ。では何故、今、私はここにいる?
真っ先に浮かんだ疑問がそれだった。百年戦争の時代、火刑にされると言う事は、即ち復活が適わなくなる事と同義であった。例え死んでも生前の行い次第で、最後の審判の後に復活出来ると信じられていた。──否、今でも信心深い人ならそう思っているだろう。レドリックはこの行政区に来る前、イタリアエリアで参列した葬儀での神父の話を思い出していた。
「宗派の違いは置いといて、レッドもキリスト教徒ならイヤでも聞いた事があると思うんだけどさ、ほら」
「いんや、俺は無宗教」
「うそぉ?!」
「あー、俺の事はいいから、続きだ続き」
何故この様な事態が起きたのか。全く別の肉体を得て最初から──赤ん坊の状態から人生をやり直すと言うのは、過去のジルが生きていた当時信じられていた事、曰く復活の際死んだ時の肉体が必要だとの教えとは全く違うものだった。
また“ジル”の生まれ育ったブルターニュ地方に残っていたケルト系の信仰でさえ、死んで死者の世界に移住してからも生前と同じ生活が営めるとされていたのだから、この状態はそのどちらとも異なっている。
始めは火刑にされた影響なのかと考えた。火刑にすると言う事は、復活出来ない様にすると言う意味も込められているからだ。
処がそうでは無かった。流石に入院中は気が引けたので退院後、手始めにネットで“ジル・ド・レ”について調べていく内に、確かに絞首刑は執行されたが、火刑の方は刑の宣告の後に行った嘆願が受け入れられて、まだ原形を留めている内に火から下ろされた事を知った。しかも刑の執行されたナント市内のノートル・ダム寺院で葬儀が行われ、埋葬された事も分かった。それはつまり、キリスト教の教え通りに考えれば復活可能な、もしくはそれに近い状態にあると言う事だ。
だが今の“ジル”は、キリスト教だけが宗教では無いと知っていた。死後の世界や生まれ変わりについて、他の考え方もあるのだ。
そして今のジルは──過去の“ジル”の影響があったかどうかはさておき──あまり熱心なクリスチャンでは無かったので、むしろ仏教等の輪廻転生と言う考え方に、自分の場合は当てはまるのでは無いかと思う様になった。
「でも、流石に周りには言わなかったけどね」
言える訳が無かっただろう。彼女の出身地であるメキシコエリアもまた、土着の信仰と融和しているとは言え、キリスト教が主要宗教なのだ。
何より、あの“ジル・ド・レ”の生まれ変わりだ等と言える訳が無かった。“ジャンヌ・ダルクの戦友”と言うより、大量殺人者としての方が有名である以上、危険視される可能性が高い。
それでも今この地でそれを明かしても取り立てて問題無く過ごせるのは、数少ない娯楽としての冗談のネタにしている事、そしてこの内戦と言う異常な状況だからこそかもしれない。
何より圧倒的な戦力差を前にして、“効率良く人を殺す才能”に長けた人間を、レジスタンスの戦闘部隊では必要としていた。幾ら送り込まれてくるその殆どが無人化された機械兵であろうとも、生きた人間と戦う機会が全く無い訳では無いのだ。
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