072.笑えばいいさ


“この世で最も恐いもの”

 その時、一般兵のテントの前を通り掛かったジャンヌは、その陽気な笑い声の溢れる様子に惹かれて中を覗き込んだ。
「随分賑やかだな、何の話だ?」
「あ、聖女様!」
「申し訳ありません、うるさかったでしょうか」
 兵士の1人がジャンヌに気付いて声を上げる。更に別の兵士が申し訳なさそうに頭を下げるので、ジャンヌは首を振った。
「いや、そうじゃない。何だか楽しそうだったから」
「恐いものの話だよ」奥の方で兵士達に紛れて話に混ざっていたロジェが答える。「この世で1番恐いものは何かってね」
「俺はやっぱりかみさんだなぁ」また別の兵士が答える。「これでちゃあんと稼いで帰らなかったら、またこの甲斐性無しって怒られるからなあ」
「こう、ツノ出してだろ?」
「ツノどころじゃねえよ、鍬振り回して追い回されたりするんだぜ!? そこらのモンスターよりよっぽど恐ぇよっ」
 兵士のその怯えっぷりに、どっと笑いが広がる。身振り手振りで恐ろしさを表現するその様に、ジャンヌもつい吹き出した。
 すると更にそこへリアンが現れた。
「あ、ジャンヌみつけた」
「やあリアン、どうしたんだ?」
 呼び掛けられてジャンヌが振り向くと、リアンは傍まで行って用を告げた。
「ジル様が呼んでるよ。それとあと、皆さんの食事の用意も出来たって調理係の人から」
 食事の2文字に反応して兵士達の表情が明るくなる。「それじゃ食うか」「今日は何だ」等と言いながら立ち上がる兵士達に紛れて、マルセルが興味津々の様子でジャンヌとリアンに聞いてきた。
「ねえねえ、お姉ちゃん達の恐いモノって何?」
 瞬間、リアンの表情がこわばった。しかしそんな様子に気付く事なく、マルセルは勝手に話を続ける。
「僕はやっぱりオバケが恐いと思うんだ。だって壁とかすり抜けてくるんでしょ? そんなのに出会ったら、もう──……」
 しかしそこでコレの手が伸びてきて、マルセルの頭を小突いた。
「お前は何あほな事ぬかしてんだ」
「ヒドイやコレットさん、何するのさ!」
 頭をさすりながらマルセルが抗議すると、コレは呆れた様に言った。
「オバケなんぞ恐いとか言ってるけどな、だったらゴーストやスケルトンはどうなんだ? 連中だって立派なオバケだろうが」
「あっちは斥候の人達がいるって先に教えてくれるから心構えが出来る分だけマシだモンっ。オバケは予告なしに突然出て来るから恐いんだよ!」
「だからお前はバカだっての」
「バカって言うなー!」
 毎度おなじみの微笑ましいやりとりに再び笑いが起こる。それを見ながら、ジャンヌはふとある事を思い出してリアンを見た。するとリアンは何を思い出したのかに気が付き、慌ててジャンヌに向き直った。
「やだジャンヌ、絶対言っちゃダメよ!」
「言わない言わない、大丈夫だって」
 しかしそう言うジャンヌの顔には楽しそうな笑顔が張り付いていた為、リアンは却って不安を煽られた。
「本当よ!? 絶対言っちゃダメなんだからっ」
「ほらそうムキになるなって。みんな見てるぞ?」
 そう言われてようやくリアンは自分が注目を浴びてしまっている事に気が付いた。顔を真っ赤にして否定に掛かる。
「ち、違うの! 別に私オバケが恐いわけじゃないんだから!──あっ」
 そしてうっかり自分で口走ってしまった事に気が付いて、リアンは更に顔を赤くした。その隣でとうとうジャンヌはこらえきれずに声を上げて笑い出した。
「もうっ、ジャンヌ!」
「ごめんごめん、だってあんまりおかしいからさ」
「ジャンヌ!」
 笑い涙を拭いながらそう言うジャンヌに、リアンは怒る。そんな2人の様子に和んだ空気が流れる中、コレがにやにや笑いを浮かべながら言った。
「じゃあそれならジャンヌの恐いモンも教えてもらわねえと、リアンにとっちゃ不公平だよな?」
「え?」
 その言葉にジャンヌは表情を引きつらせる。しかしそこに残っていた仲間達の視線がすっかり自分に向けられている事に気が付いて、言うまでここから逃げられない事を悟った。
「恐いもの……なあ」
 思わず真剣に考え込む。周りで皆がふんふんと頷く。そのあまりにも期待に満ちた様子に、実は本当は戦場に出るのが恐いなどとは答えられなくなった。
 そしてそこでようやくジルに呼ばれている事を思い出し、その顔を連想した所でふとある事に気が付いた。
「……あのさ、ちょっと違うんだけど、笑顔が恐そうってのもいいかな?」
「笑顔?」
 ロジェとマルセルが同時に聞き返す。ジャンヌは真剣な顔になると、人さし指を立てて言った。
「そう。例えばジルなんて笑っても薄い感じのしかしないじゃないか?」
「ああ……」
 微妙に納得の反応が返ってくるのを確認して、ジャンヌは先を続けた。
「もし──もしだよ、そのジルが全開の笑顔なんかもし見せるような事があったら、絶対恐いと思うんだけど」
「そりゃ確かに恐いな……」コレが声を引きつらせながら頷く。
「そう思うだろう? 想像するだけでも結構恐いと思うんだ……?」
 しかしそこで何故か全員が同じ方向──ジャンヌの後ろの方を見て硬直しているのが目に付いた。
「どうしたんだ? みんな」
 何かあるのか、と聞こうとした時リアンが悲鳴の様な声で言った。
「ジャ、ジャンヌ、後ろ!」
「後ろ?」
 そう言われて後ろを見ようとしたその瞬間、ジャンヌの肩に手がぽんと置かれた。
 ジャンヌはそれで全てを理解した。
 恐る恐る後ろを振り返る。そこにジルがいた。
 全開の笑顔で。
「────!!!」
 声にならない叫びが出る。しかしそんなジャンヌに笑顔を向けたまま、ジルは言った。
「いつまで待っても来ないと思ったら、こんな所で俺の噂話か?」
 あまりにも想像を超えた状況に、ジャンヌは口をぱくぱくさせる。そして徐々に混乱から立ち直りながら、言葉を絞り出した。
「──っ、いったい、いつから聞いていた?」
「俺の笑顔が薄いと言うのが聞こえたな」
「…………」
 ジャンヌは目の前が暗くなるのを感じた。──これはもう、逃げられない。
 だがそんなジャンヌにお構いなしに、ジルはリアンに視線をやった。
「すまないな、折角頼んだのに」
「いいいいいえっ、その、いいんですっ」
 まさにヘビに睨まれたカエルの如く、あまりの恐ろしさに気絶寸前になりながらリアンは慌てて頭と手を振りながら応えた。更にジルはコレに視線を向けて続ける。
「それと君、ジャンヌの分の食事も俺の所に持ってくるよう調理係に伝えて貰えないか。彼女が食べはぐれては流石に不味いからな」
「っ、ああ、分かった……いや了解しましたッ」
 コレは普段の調子で頷こうとしたが、すぐに放たれた妙な威圧感に慌てて言い直した。
「では頼んだぞ。……ジャンヌ、行くぞ」
「ああ、分かった……」
 そこでようやく笑顔を解いて普段の顔に戻ったジルに、ジャンヌは頷いた。その憔悴し切った様子にマルセルは小さく声を掛けた。
「お姉ちゃん、がんばれー……」
「……ああ……」
 ジルの後を歩きながらジャンヌは手を振り返した。そして2人の姿が見えなくなった所で、全員で盛大なため息を付いた。
 その後ジャンヌやリアン達の表情を強ばらせたままの姿を目にしたジャンとベルトランからどうしたんだと問われたが、流石に誰も何も語ろうとしなかった。
end
よんだよ


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 只今挑戦中あとがき?

 JEANNE D'ARC

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