077.歪む空間


“passing through”


「うん、流石私のザイン。後は例の息子に会うだけね」
「……マズイ」
「え?」
「ずらした所が別の所に繋がってた。そこの生物か何かが1体、入り込んでる」
「ええー!?」

 …………

 窓を開けようとしたが、びくともしなかった。
 しかし机や椅子は動くし、教室の出入り口の戸は開いた。問題は戸を開けた先が廊下ではなく、図書室だった事だ。そしてやはりと言うべきか、そこには誰もいなかった。
 棚から本を取り出す事は出来た。その本を読む事も出来た。ガッシュに言ってテーブルを動かさせたらそれも出来た──当然すぐに元に戻させたが。しかしそこでも窓を開く事は出来無かった。
 更にとりあえず教室に戻ろうと今来た戸を開けたら、今度はその向こうに音楽室が広がっていた。流石にその繋がり方の無秩序さから慎重に行動する事を選んだ清麿は、“本”を脇に挟んで腕組みしながら、戸を開けたままにして図書室のカウンターに寄り掛かりながら考える。
 ──まず間違いなさそうなのは、この現象を起こしているのが魔物だろうって事だ。
 魔物が関わっているのならば、常識を無視した現象が起こったとしても納得出来る。そして一瞬で清麿とガッシュだけを残して他の人間が消えたと言うよりは、魔物が自分達だけをこの奇妙な空間に閉じ込めたと考える方が理解しやすい。
 問題はその魔物が何処にいるのか、目的が何なのかと言う事だ。もし戦いに──本を燃やしに来たと言うのであれば、対策を考えなければならない。
 ──まずは、相手の能力の性質を予測する必要がある。
 こんな事が出来るのだから、恐らく空間に干渉するタイプの能力なのだろう。あるいは幻を見せるタイプなのかもしれない。もしかしたらこんな風に見えているのは自分達だけで、本当はまだ教室にいる可能性も捨てられないからだ。
 ──何にしても、今のオレ達じゃこの校舎から出られそうに無いな。
 ガッシュが使えるのは攻撃か補助的な効果の術だけなので、この現象を引き起こしている原因である魔物とそのパートナーを見付けない限りは対処の仕様が無い。更に確証は無いとは言え、窓が開かない事や廊下に出ない事からして恐らく自力でこの空間、もしくは校舎から出る事は難しそうだった。但し今後廊下や昇降口等に出た場合は、考え直す必要があるが。
「き、きーききっ、きよっ、きよまろっ」
 不意にガッシュが引きつった声で呼び掛けてくるので、清麿は顔を上げた。
「どうした?」
「あそっ、あそこ……っ」
 そう言って図書室の隅を指差すので清麿もそちらを見ると、何故か上に向かって落ちて行く砂の滝があった。不思議な事にその周りの本棚には砂が飛び散る事無く、そこだけ空間が切り取られた様に砂が流れていた。
 更にその中では砂の滝にようやく隠れる程度に巨大な“何か”が動いていた。紫色のそれは表面がぬめる様にてかっているにも関わらず、砂は全く付いてなかった。砂との間に何かバリアの様なものでもあるのだろうか。
 ──まさか、コイツが魔物か?
 急いで清麿は図書室の中を見回したが、パートナーの姿は見当たらなかった。となると、死角にいるのか。それとも別の場所にいるのか。
 しかしこれだけではこのガッシュがこれ程怯える理由が解らない。確かに寂しがり屋でよく泣くし、それが理由かどうかは分からないがさっきも言っていたナオミちゃんとやらにいじめられているらしい。だが弱虫と言う訳では決して無い。何より基本的には好奇心旺盛な子供だ。そういう所は魔物だろうが人間と何ら変わらない。むしろガッシュの性格からして、こういうモノには興味津々に覗き込んでいる筈だ。勝手な行動を取られなかっただけマシとも言える。
 やがて“それ”の一部が砂からぼこりと現れた。逆さまの頭の様に思えるのは砂の流れに沿っているからなのか。そこには毛の代わりに何本も伸びた触手の様なものの先端が口の様に開いており、それぞれに鋭い歯が並んでいるのが見える。更にそれとは別に大きな口があり、そこからだらりと伸びた舌であろう筈のものの先には何故か目がある。
 その目が、清麿とガッシュの姿を捉えた。
 口が更に大きく開く。小さな口の付いた触手が素早く伸びてくる。
 幸いガッシュは自分のすぐ傍に立っている。位置的には丁度いい事を確認すると、清麿は迷わず呪文を唱えた。
「ラシルドォっ!」
 出現した盾に触手だけではない、恐らく“あれ”が大きい方の口から吐いただろう何かが当たる音がする。ラシルドが破壊される前に清麿はガッシュのマントの襟を引っ掴んで音楽室に入ると、急いで戸を閉めた。

 …………

「ちょっと待ってッ、マジそれ?!」
「何か力を感じるけど、俺達魔物とは質が違う。この世界とも魔界とも違う、何処か別の世界の生き物だ」
「……何だか、更にファンタジー的な状況になってきたわね……」
「エリカの研究内容だって似た様なもんだろ。だけど悪い事に、今魔物の強い魔力も感じた。これで奴がさっきの魔物のパートナーって事は確実だな」
「でもそれって事は、術を使ったって事だよね? まさかその生物と接触したって事?」
「……多分」
「ああもう最悪ッ! こんな時に限って何でそんな事になっちゃうのよッ!」
「俺だってそんな所に繋がるとは思わなかったよッ。……あ、今、そいつと奴等の空間が離れた」
「じゃあ扉を“閉めた”のね。……てコトは、空間的にはそれぞれ別の所にいるって事か」
「多分ね」
「それが分かっただけマシと思う事にしよう、もう。どうせイレギュラーを排除するにしても、まず例の息子の所に行くしかないんだしッ」
「確実に誤解されただろうしな」

 …………

 あまりもの驚きに、肩で息をする。術が解けたガッシュも、床にぺたりと座って呆然と戸を見ている。
 閉めた戸に寄り掛かりながら、攻撃音が聞こえない事からその向こうが別の部屋に切り替わったのだと清麿は思った。
 ──冗談じゃないぞ。
 幻だろうが空間を操ってるのだろうが、予測出来無い様な所から攻撃してくるのだとしたら厄介な事この上無い。どう考えても主導権は敵に握られている。どうしても受け身にならざるを得ない状況に、清麿は頭を抱えたくなった。
「ずいぶん、大きかったのだ……」
 ようやくガッシュはそれだけ言った。清麿も少し落ち着いてきたので、それに応じる。
「あれが魔物本体じゃないだろうけどな」
「ヌ、そうなのか?」
「少なくとも、あそこにパートナーらしい人間は見えなかった。それとも、お前の所からは見えたのか?」
「……あの化物しか見ていなかったから分からないのだ……」
 ──だろうと思ったよ……。
 とは言えそれに付いては仕方無いと流しつつ、清麿は今の時点で解っている事から導き出した考えを口にした。
「ドアを閉めた瞬間にその向こう側が図書室とかの別の部屋に入れ替わる事から、多分空間に干渉する能力を持っている奴が相手だ。オレ達だけにそう錯覚させていると考えるよりは、そちらの可能性の方が高い」
 鈴芽達に教えながら読んでいた雑誌にあった、インフレーション宇宙論の概説が清麿の脳裏に過る。ブレーン理論。マルチバース。多次元宇宙。シュレーディンガーの猫等と言った量子論的パラドックスから導き出されるパラレルワールド。そんな未だ理論上とは言え、他にも宇宙が存在する可能性。そして空間を操っている可能性の高い魔物の存在。
 間がいいのか悪いのか、それでもあの記事を読んでいたおかげでそれらに気付けただけでもまだマシだと清麿は考える事にした。こんな戦い、プラス思考で当たらなければ正直やってられない。──ガッシュの目指す、そして清麿自身もそうなって欲しいと願う“やさしい王様”にする為なら、尚更に。
「今出た化物も、別の空間から引っ張ってきたんじゃないかと思う。恐らくそうやって出来るだけ自分達の力を使わずに、こちらを消耗させる作戦だと考えれば分からなくは無い。そして別の空間から今みたいなのを呼び寄せると言う事は、今の時点で魔物自身に直接攻撃出来る呪文が無い可能性が高い。だが、安心は出来無い」
 そう言って清麿は一旦言葉を切ってガッシュを見る。しかしガッシュは腕を組んで首を傾げるものの、クエスチョンマークを飛ばすばかりでその理由にまで考えが至らない様だった。
 ──それでも考えようとするだけ成長したか。
 だが今は時間が惜しいので、ガッシュが答えに至る前に清麿は自分の考えを告げた。
「多分向こうはこっちの位置を把握しているからだ。だからこれから、何処に出ても留まらずに部屋を移動し続ける。開けたらすぐそこに入って、閉めたらまたすぐに開けてそっちに入る。たとえさっきみたいな化物が出ても、攻撃される前に次の部屋に移動する」
「本物の魔物に会うまで、心の力を使わないためなのだな?」
「そうだ」清麿は頷いた。
「そして移動のタイミングが早ければ早いほど、オレ達の位置を把握されても化物を差し向けるだけの余力は無くなる筈だ。そうして向こうがこっちの位置が追えないぐらいに移動しまくって、いずれ魔物かパートナー、あるいはその両方がいる所に出るのを期待する。消極的だが、今はそれしか無い」
「わかったのだ!」
「よし、じゃあオレから離れるなよ!」
「ウヌ!」
 そして清麿は戸を開け、その向こうの美術室に入るなりすぐさま閉めた。

 …………

「……何か、部屋を移動し始めたんだけど」
「ぇえ?」
「別の部屋に行くと、すぐまた別の部屋に入ってる。かなりの早さで扉を開け閉めして移動しているみたいだ。間違いなく警戒されたね」
「……流石天才少年と誉めてやりたいけれど、そんな事言ってる場合じゃないわね。もしかして相当戦闘を繰り返してるのかな?」
「戦った相手にもよるだろ。もしエリートクラスの連中と当たって生き残ったんだとしたら、それだけで弱いヤツラ4〜5人を相手にしただけの経験が得られる」
「で、場合によってはレベルの高い呪文まで覚えたりしてるかもしれないと」
「俺と違って攻撃系ばっかりだったりするかもな」
「……ますますヤな状況になってきたわね。大体話をする為にここまで来たのに、何でこんな事になるかなっ?」
「わざわざ学校までこないで家に行けば良かっただろ。どっちにしたって、こうなったらあの2人をここまで来る様にしても、きっとタダじゃ済まないよ?」
「だからってこのまま帰る訳にはいかないでしょ。いいからこっちに“呼んで”。念の為、私らの所だけ位相をずらして」

 …………

 半ば、いやかなりヤケクソ気味に、清麿は戸を開けては中に入って閉め、を繰り返していた。
 ガッシュは最初に入った美術室の時点で、清麿が戸を閉めて向き直ろうとした瞬間によじ登って、肩の所に座りその頭にしがみ付いていた。一見すると肩車をしているかの様だ。本音を言えば重いのだが、いつぞの様にケツに噛みつかれるよりはマシと思う事にして、本を持つ手でその片足を押さえながら、清麿は戸を開けては中に入って閉めて行く。
 途中バルカンを落としたとかでガッシュが騒いだが、今はそれどころじゃないし壊れてたり見付からなかったりしたらまた作るからと言って宥めた。……その代わり、頭にしがみ付く手の力が強くなって締められてる気がするが。ついでにかじられてる気もする。
 そうして移動を繰り返して行く内に、清麿の中でふつふつと怒りが湧いてきた。相手の姿が見えない事へのいらだちは勿論ある。だが直接攻撃が出来る呪文が無かったり、或いは持っていても威力が低い場合は仕方が無いし戦術的にも間違ってはいないと頭では理解出来る。
 しかし突然この奇妙な空間に放り出された事で、平穏な日常をブチ壊されたのが許せなかった。もし今の状態が鈴芽達の前からいきなり姿が消えた様に見えていたのだとしたら、この上どんな噂が立つか分かったモノでは無い。正直、今“現実の”教室の方でどんな騒ぎになっているか、清麿は考えたくも無かった。更にその可能性は低いとは言え、もしこんな風に見えているのが自分達だけで、あの時教室に残っていた鈴芽を始めとする他のクラスメート達には自分達の事が見えているのだとしたら、それこそまた登校拒否したくなるではないか。
 ──絶対ザケルを1発喰らわせてやるッ!
 そう思いながら、ガッシュの体重と締められてる痛みで更に加算された怒りの形相で戸を開けその先の理科室に入った途端、上から声が降ってきた。
「高嶺清麿君、だね?」
 瞬間、振り返って頭は下げたまま声の方に手を上げ指差すと、清麿はザケルを唱えた。


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 只今挑戦中金色のガッシュ!!

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