077.歪む空間


“passing through”


「うわっ!?」
 低めではあるが、それは明らかに女の声だった。清麿が顔を上げると揃って砂色の髪をした2人が、まるでそこが床であるかの様に戸の上の壁に立っていた。重力までそれに合わせて働いているらしく、服がめくれている訳でも無ければ髪も壁に向かって流れていた。
 本を持っていたのは身体の線がはっきり出る様な黒のロングコートに、ダークブラウンのサングラスを掛けた人物だった。ささやかながらも胸があるのが分かるので、間違い無く今の声の主だろう。だが隣にいる魔物共々、ザケルを喰らった形跡が無い。
 ──ッ?!
 だがそんな清麿の驚きをよそに、女が喋る。
「あーもーやっぱり怒ってるのねー。でもとりあえずその怒りを収めて? こっちだってこんな事になるのは予定外だったんだからッ」
「やっぱりこんな事をしたのはお前らかッ!」
 とは言えそれで収まる怒りではなかったので、清麿は女に向かって怒鳴った。しかしそれでも女は手を合わせてひたすら頭を下げまくる。
「だからあんなのが紛れ込むのは予想外だったんだってばッ! ついでに言うと私らの所だけ少し位相をずらしてあってね、そっちの攻撃は効かないから呪文は使わないでくれると私としては非常に嬉しい」
 その言葉に、清麿は少しだけ冷静さを取り戻す。確かに攻撃が効かないなら呪文を唱えるだけ無駄ではあるが、そんなのを相手にどうやって対処すればいいのか。
 いつの間にかガッシュは降りていたらしく、清麿はその重さから解放された事に気付くと同時に肩が凝っているのを感じた。何となく視線を落とすと、困った様に清麿を見上げていたガッシュと目が合った。
 清麿は気を落ち着ける様に深呼吸すると、女に向かって聞いた。
「あんたら、一体何が目的なんだ?」
「単純に個人的な用事よ。清麿君、君と話がしたかったんだ」
「オレに?」
 流石にそれは予想外だったので、清麿は目を丸くしながら問い返した。
「だから戦いに来た訳じゃないの。今そっちと位相を合わせてイレギュラーを排除するから、とにかく攻撃だけはしないで。お願いだから」
 そして隣の魔物が手を動かすと、2人は清麿達と同じ床面に降り立った。しかしそれでも清麿が警戒を解かずにいるのを見て、女は言った。
「だからそんなに睨まないでよ。おねーさんを信じなさいっ」
「……40前のセリフじゃないだろ」
「あんたも余計なツッコミはしない!」
 ぼそりと呟く魔物のセリフに、女は脳天チョップをかます。かなり痛かったらしく、清麿よりも年上に見えるその魔物は頭を抱えてうずくまった。
「それはいいから、ちょっとあの子の本をいじって差し上げなさい」
 清麿の持っている本を指差しての女の命令に、魔物は文句を言いたそうな顔をしながらも手を動かす。すると次の瞬間、清麿がしっかり持っていた筈のそれは、床の上に落ちていた。
「なっ!?」
「こっちがそのつもりだったら、さっさとこうして本を燃やしてるって事」
 女はそう言いながら清麿達の前に来ると床に落ちた本を拾い、差し出す。清麿は呆然としながら本を受け取った。
「これでこっちに戦意が無いのは分かったでしょ? だからちょっと待ってて」
「あ……ああ」
 清麿が頷くと、魔物は女の指示を受けながら手を動かす。その動きが何かをスライドさせている様に見えた事から、そうやって空間を動かしているのだろうと清麿は考えた。
 それでも確認の為、清麿は聞いた。
「そっちが使えるのは、“空間を操る術”なんだな?」
「そういう事」女の方が応える。
「って言うか、それしか使えないんだなーこれが。そりゃー1つの術を発動している間は他の術が使えないのは仕方無いかも知れないけどさー、それでもその間ずっと力を出し続けるのが面倒臭いんだよねー」
 苦笑しながらのセリフではあったが、それはつまり清麿とガッシュをこの空間に引き込んでからずっと力を出し続けていると言う事である。それはそれで凄い事じゃないかと清麿は思った。
 だが落ち着いてきて冷静に女の方の格好を見るにつれ、清麿はどういう趣味をしているんだと言いたくなってきた。まだ10月だと言うのにロングコートである。それも黒い上に表面がツヤツヤしている。靴もよく見ると同じ様な素材のブーツで、やっぱり色は黒かった。更にサングラスまで掛けているとなれば、怪しい事この上無い。
 おまけに当人も暑いらしい。時々流れる汗をハンカチで拭いている始末だ。流石に呆れた清麿は、思った事をそのまま口にした。
「……なあ、あんた、暑いんだろ? コート脱がなくていいのか?」
 すると女は物凄い勢いで清麿に向き直ると、まくし立てた。
「暑いわよ暑いに決まってるわよッ。だって日本がこんなに暑いなんて知らなかったんだモンッ。どーせ私は学者バカよ研究バカよッ!」
 それも床をだんだんと踏み鳴らしながら言う。確かに魔物の方が言う様に、40前の言動とは思えない。
 ──……もしかして、かなり北の方から来たのか?
 ひとまず年の事は忘れる事にし、清麿が何処から来たのか聞いてみると、案の定北欧はデンマークの出身と言う答えが返ってきた。但し今は研究の為にイギリスにいるとの事だったが。
 やがて魔物の手が動きを止めた。
「アレはあるべき所へ送り返した。今ここにいるのは俺達だけ」
「ならば、バルカンも探してはくれぬかのう?」
 半泣きになってガッシュが言う。どうやらまだ諦め切れないらしい。「バルカン?」と言って首を傾げる女に清麿が説明すると、ガッシュがずっと持っていたのなら魔力が残留しているだろうと魔物の方が応じる。そして魔物はそれを頼りに空間を操り、バルカンを探し出した。
「ありがとうなのだ!」
 喜んでガッシュはバルカンを受け取る。それを見て話を始めようかと言う女の言葉を、清麿は遮った。
「だったら、まずこの空間を解除した方がいいんじゃないか? あんたらに本を燃やすつもりが無いなら、オレ達も攻撃する気は無いし」
「ああ、それもそうね」
 女が頷く。しかし清麿はドスを効かせた声で言葉を続けた。
「その前に、あんたらがオレ達にこの術をかけた時、まわりにはどう見えたのかが問題なんだが」
「んー、多分、消えた様に見えてる筈だよ?」
「教室に、オレ以外にも誰かいるって事は考えなかったのか?」
「…………えへ」
「あんた本当に学者かーッ!」
 あらぬ方向を向いて頭を掻く女に、清麿は叫んだ。

 …………

 日は殆ど沈みかけていた。
 案の定清麿とガッシュの姿が唐突に消えた事で騒ぎになっていたが、その辺りの説明は全て女に任せた。教師達に平謝りに謝る女の姿を見て、清麿は少しだけ溜飲が下がった。
 しかし意外にもあっさりと女が解放されたので何と説明したのか尋ねると、ガッシュを指差しながら女は答えた。
「この子を仕掛けに手品を使ったって言っただけよ。それで気付かれない様に呪文を唱えてザインに私の所だけずらしてもらって、姿を消した後別の場所に現れた様に見せたらあとは幾らでも口で誤魔化して押し切った」
 警察が来てなかったのも幸いした等と言う女に、改めて清麿は呆れるしかなかった。
 ──絶対明日の学校中で騒がれる……。
 特に怪奇現象が大好きな岩島辺りが、間違い無くしつこく聞いてくるだろう。ただでさえ度々ガッシュが学校まで来る事で妙な注目を浴びていると言うのに、これ以上おかしな噂を立てられる状況は清麿の望む所では無かった。
 確かにガッシュのおかげで、希望も無く生きている意味を見出せない無気力な灰色の日々から抜け出す事が出来た。それに付いては感謝してもしきれないし、だからこそガッシュを王にする為に自らの頭脳を武器として、時には身体を張ってでも戦いに挑む。
 だが、だからと言ってここまで賑やかを通り越してやかましい日常になる事は望んではいなかった。せめて日常生活ぐらいもう少し穏やかに過ごさせてもらえないかと、清麿は切に願う。魔物との戦いは時として非常に激しいだけに、尚更だ。
「どうした少年、そんなに眉間にしわ寄せてたら将来ハゲるよ?」
「やかましーわ!」
 神経を逆撫でする様な女のセリフに、清麿は怒鳴った。しかし女はそんな怒りも何処吹く風と言った調子で勝手に話を進める。
「まあいいや、もうしょうがないし。私らは一旦ホテルに戻るけど、今日中に君の家に行くから待ってて頂戴」
「オレの家まで知ってるのか?!」
「それも含めてその時に説明するよ。それに明日には帰らなきゃならないから、今日じゃなきゃ私が困る」
「……いやいい。来なくていい」
「じゃあ8時頃には行くから!」
「とっととイギリスへ帰れ!」

 …………

 だが本当に女は8時きっかりに高嶺家にやって来た。服装こそ変わってないが、清麿達とはまるで初めて会ったかの様な思いっ切り猫をかぶった態度だった。
「君が清麿君? 初めまして、私はエリカ・クロップ。お母さんから聞いたかも知れないけど、君のお父さんと同じ大学で時々講師をやってます」
 しかしサングラスを外した女の顔は、隣にいるその魔物と同じ顔をしていた。


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 只今挑戦中金色のガッシュ!!

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