077.歪む空間


“passing through”


「……つまりあんたは親父の同僚だったんだな」
 客間でテーブルを挟んで向かい合いながら、清麿は言った。
「さっきも言った様に時々講師として顔を出してるだけなんだけどね。それに私の専門分野は宇宙物理学だから、本来なら接点も無いし」
「全然違うじゃねーか?!」
 清麿の父、清太郎は考古学の教授である。
「うん、だから最初は何で話し掛けてきたのかと思ったんだけどね」
 そう言って、エリカと名乗る女は“本”を出した。
「でもその時、私の手には“これ”があったから」
 その時エリカはパートナーの魔物であるザインと共に、残りの魔物の数が70人になった事が分かって本を間に顔を突き合わせていたと言う。
「……何で大学にまで連れてってんだよ」
「助手の代わりよ。それにそこに居るガッシュ君と同じで見た目は人間と変わらないし、私と同じ顔してるから親戚の子だって誤魔化しも効くし。それに君だって学校に連れてってるじゃない」
「オレは違う! コイツが勝手について来てるだけだ!」
「ウヌウ! よいではないかー!」
 そう言って頬を引っ張るガッシュを、清麿は力尽くで引き剥がそうとする。それを見てエリカはけたけた笑いながら言った。
「やー、君達って面白いわー。何か兄弟みたい」
「こんなのが弟でたまるか!」
「清麿はヒドイのだ! おにーちゃんというのはもっとやさしいのだ!」
 方や半ギレ、方やだばだば泣きながらの反論に、エリカの笑いが更に大きくなる。流石に見兼ねたのか、呆れた様子でザインが言った。
「……それはいいから、いい加減本題に入らないか?」
 そのひと言で3人の動きが止まる。そして改めて居住まいを正し、エリカは続きを話し始めた。
 清太郎が2人に最初に掛けた言葉は、“ガッシュと言う子を知らないか?”だった。どうやら清麿の所にガッシュを送り出した後も、清太郎は記憶喪失のガッシュの手掛かりをそれとなく探していたらしい。
「だから最初は迷子でも探してるのかと思ったんだけど、知らないって答えたらその子が“これと違って赤い色の、似た様な本を持っている”って言うから、ちょっと話を聞く事にしたんだ」
 勿論いつでも逃げられる様に、エリカは本に手を置いたままにしていたそうだが。

 …………

“その子もこれと同じ様な本を持ってるんですか”
“ああ。私は考古学の教授をしているのだが、これまで見た事も無い文字で書かれていてね。そう、君達が今見ていた本の様な”
 もしかして読めるのかと聞かれたが、エリカはあえて否定した。
“私達も読めないんですよ。それで今こうして2人で睨み合ってた訳で”
 そう言って誤魔化し、更に深く追求されるのを避ける為、エリカはその子供の事に話を変えた。
“処でその子、今は教授が面倒を見てるのですか?”
“いや、助けてくれた恩返しがしたいと言うので、腑抜けた息子を鍛え直して貰おうとだいぶ前に日本に送り出したんだ”
“……息子さん、ですか”
 この時エリカは、やはり東洋人の年は見た目では解らないと思ったと言う。こんなに若いのに教授なんて何者だと思っていたのだそうだ。
 しかし14になったばかりと言うその息子があらゆる分野で天才的頭脳を発揮する事を聞いて、エリカの脳裏に別の目的が生まれた。
“MITの卒論どころか、教授の研究分野ですら理解出来るんですね?”
“尤もその頭の良さを妬まれてしまって、中学に入ってしばらくしてから殆ど学校に行かなくなってね。
 親のひいき目を抜きにしても、あの子はどの分野でも一流の研究者になれると思う。別に学校に行きさえすればそれでいいと言うつもりも無い。だがやはり、まず人との付き合い方を学んで欲しくてね”
 君も研究者なら解るだろうと言われ、エリカは頷いた。何だかんだで他の研究者との情報交換は必要だし、そこから抱えている難問の突破口が開ける事もあるからだ。分野によっては“人間”と言うものをよく知っている必要もあるし、時には違う分野の研究が役立つ事もある。
“だから変わるきっかけになってくれればと、あの子を息子の所へ行かせた”
“それで、どうなりました?”
“今ではきちんと学校に通っているらしい。友達も出来たそうだ。ただ、たまに怪我で寝込む事もあると妻が言っていたから、まだまだ平穏とは言えないみたいだがね”
 ──それって、まさか。
 エリカはその理由が何なのか解った気はしたが、その話しぶりから清太郎が魔界や魔物の子供達の戦いの事を知らないだろうと思ったので、何も言わなかった。実際清太郎がそれを知るのは、清麿が夏休みを利用してガッシュを連れてイギリスに行ってからだ。

 …………

「……後は今の研究の事とか話してる内に講義の時間になったから、そのまま別れたんだけどね」
 しかしエリカは“目的”の為、清太郎の日本での住所を調べた。それは大学が夏季休暇に入る前の事だった。
「じゃあ、何で今頃来たんだ?」
 もっと早くに来る事も出来たんじゃないかと思いながら清麿が聞くと、“学会のついで”と言う簡潔な答えが返ってきた。
「これでも私は研究者なんだよ? 君のお父さんだってそうしょっちゅう日本に帰って来ないんだから、そのぐらい分かって欲しいなあ」
 ──ああ、そうだな……。
 清麿は、少しだけ遠い目になった。ガッシュが来たばかりの頃、何度あの顔を殴ってやりたいと思った事か。もしその頃に1度でも帰って来る様な事があったら、本当に1発ブチかましていたかも知れない。
「だけど、その間にガッシュやあんたの所のザインがいなくなったらとは思わなかったのか?」
「最初に言ったでしょ、私は“君と”話がしたかったんだって」
 勿論全く関係無い訳じゃないとエリカは続けると、立ち上がってテーブル越しに両手で清麿の肩をがっちりと掴んだ。
「でだでだでだ! ここからが本題なんだけど!」
「分かった分かっただから落ち着けツバを飛ばすなッ!」
 押し倒さんばかりの勢いで身を乗り出すエリカを、清麿はどうにか押し返した。エリカの肩越しに見えたザインの同情的な視線を見て、彼にとってこれが日常的な光景であろう事を何となく理解した。
「で、その本題ってのは何なんだよ」
「その前に一応聞いておきたいんだけど、君、将来何になろうか決めてる?」
「……いや、それはまだ、何も」
 清麿は口ごもるしかなかった。それ以前に今はガッシュを王にする事で手一杯で、自分の進路については漠然としたイメージすら思い浮かばない有様だ──登校拒否していた頃に較べれば、学校に通えるようになっただけ進歩したとは言えるが。
 しかしエリカはむしろのその反応に満足した様で、嬉々として話を進める。
「それは良かった。それならもしこの先なりたいものが見付からなかった時は、是非とも物理学を専攻しなさい。出来れば宇宙系か理論系」
「オイ、ちょっと待て」
 命令口調でのエリカのセリフに、清麿は待ったを掛けた。それは先程言っていた、エリカの専門分野ではないか。
「まさかオレにあんたの研究を手伝えって言うんじゃないだろうな?!」
「うん、そう」
 あっさり頷くエリカに、清麿は反射的に本を手に取った。エリカは慌てて自分の本に手を置きながらも、思い留まらせる為言葉を繋ぐ。
「やややちょっと待って、お願いだから話を最後まで聞いて! そうすれば絶対君なら分かってくれる筈だからッ!」
「……本当に、か?」
 怒りの目を向けながらも、ひとまず清麿はザケルを唱えるのを我慢した。ガッシュがおたおたしていたりザインの目が思いっ切り見開かれているが、あえて気にしない。
「本当本当。魔物のパートナーになった君なら間違い無く興味を持つ筈だから。だからとにかくその本を置いて。ゆーっくり。ゆーっくりでいいから」
 言われた通り、清麿はテーブルに本を置く。それでもエリカの事は睨み続けていた。
 そして清麿が本から手を離した事を確認した上で、エリカは続きを話し始めた。
「で、私が今特に熱を入れて研究しているのが“インフレーション宇宙論”の中の、」
「何!?」
 その言葉に清麿はテーブルに手を付いて膝立ちになった。それは後で調べようと思っていた理論だった。
「あ、知ってるんだ?」
 そんな反応を見たエリカが嬉しそうに言うので、清麿は少し、いやかなり悔しかったが「簡単には」と答えた。
「どのくらい?」
「あんたらに隔離される前に、雑誌の記事にあった概略を読んだだけだ」
「それで、何か思わなかった?」
 エリカの期待に満ちたその目に、清麿は彼女も自分と同じ可能性を見ているのではないかと思いながら答えた。
「あれがただの理論では無く、本当に別の宇宙が存在する──あんたは、そう思って研究してるんじゃないか?」
「御名答」
 にーっこりと笑ってエリカは頷く。
「だけど別にザインと出会えたからじゃないわよ。でも私の所にザインが来て、“魔界”と言う別の世界が存在する事が分かって、前以上にのめり込んだのは確かね。理論上の存在から、私の手で実存するんだって証明してやるんだ、ってさ」
「……すまぬが、もーすこし私にも分かる様に話してはくれぬかの?」
 クエスチョンマークを飛ばしながらガッシュが言う。どうやら話に付いて行けないのが寂しいらしい。仕方が無いので、清麿が記事から得た知識を大雑把に説明する。
 まず清麿は茶に指を突っ込むとその指でテーブルに円を、更に滴の様なマンガの吹き出しの様な形をそこにくっつけて描いた。
「この右側の円が今オレ達がいる人間界のある宇宙、左側のがお前達が元いた魔界のある宇宙だとする」
「ウム」
 ガッシュが頷くのを見て、清麿は更に滴型の図形を元の円形や滴型に付け足していく。
「インフレーション宇宙論ってのはこんな感じで宇宙が次々と生み出されている可能性を探っている。──だよな?」
「物凄ーく簡単に言えばね」
 清麿の確認に、エリカは頷く。どうやら色々と突っ込みたい様子だったが、1度突っ込みを入れたら最後、専門用語のオンパレードになって更にややこしくなるから言わないのだろう。
 更に清麿はガッシュに向かって説明を続ける。
「これは乱暴に言っちまえば、オレ達がいるこの宇宙の果てか、あるいはどこかに別の空間への抜け道があると仮定した上で、そこにまた別の宇宙があるんじゃないかっていう考えだ。この空間が何なのか、本当にそんな空間があるのかどうかと言うのは今は説明しない。とりあえずそういう考えがあるって事だけ覚えておけばいい」
 それでも腕を組み首を傾げるガッシュに、ため息交じりに清麿は言った。
「……要するにお前達の魔界とオレ達がいる人間界が、それぞれ別の場所にあるって事だ」
「ウヌ、それなら分かるのだ」
 そう言って頷くガッシュを見て、エリカがニヤニヤ笑いながら清麿に言う。
「本当に乱暴な説明だねー」
「だったらあんたが保育園児にも解る様に説明しろよ!」
 指差しながら怒鳴りつつも、清麿はふと思い付いた“魔界”に関するもう1つの可能性を口にした。
「……だが、必ずしも別の宇宙に魔界があるとは限らないんじゃないか?」
「実は別の恒星系の惑星にあるんじゃないかって事でしょ?」
「ああ」
 さらりとそれを言い当てるエリカに、清麿は頷く。
「勿論考えなかった訳じゃないよ。その中に魔界があるかどうかは別として、太陽系外惑星探査による生命体発見の確率の方が別の宇宙の存在の確認や、そちらへ行く方法を見付ける事よりも手っ取り早いし簡単だとは思う。ただ私の専門分野と、ウチのザインが持ってる能力から、私は私のやり方でアプローチする事を選んだだけ」
 勿論君がそちらの可能性を求める方に進むなら止めないと言いながらも、エリカは続けた。
「でもさ、限定的っぽいとは言え魔界からこの世界へ来る方法があるんだったら、その逆の方法も探してみたいと思わない?」
 楽しそうでいて、避けられない未来を見据えた何処か寂しそうな遠い目をして言うエリカに、清麿は何故彼女が自分に話をしに来たのかが分かった気がした。
 例え最後まで勝ち残って魔物が王になっても、別れる事になるからだ。
 それでもまた会いたいと思うなら、その為の方法を探すしかないのだ。
「だからもし君が別の次元、別の世界へ移動する事が出来る装置を作る事を目指すなら、私はそれでも構わない。今の時点では深宇宙探査よりも遥かにイカれた研究だと言われるだろうけれど、この戦いに関わった大多数の人間が、別れた魔物達とまた逢いたいと思う筈だから」
「…………そう、だな」
 清麿もそれに頷く。毎日顔を合わせ寝食を共にしているだけでは無い、戦いともなれば時として文字通り共に死線をくぐる事になる。そうしてそれぞれ形は違えど、何らかの絆が生まれる。
 以前遭遇した、コルルと言う魔物の事を思い出す。本人に戦う意志が無いにも関わらず、攻撃的な人格を植え付ける事でこの戦いに送り出された魔物だった。コルルが“しおりねーちゃん”と呼び慕っていたパートナーもまた戦いを望んではいなかった。あの時呪文を唱えたのもコルルを守る為だった。そしてこれ以上の戦いを望まなかったコルルは自ら本を燃やして欲しいと願い、清麿はそれに応じてザケルを唱えた。そうしてコルルが魔界に帰った今も、恐らく2人は互いを思い合っているだろう。だがそれは、これまでに戦ってきた殆どのコンビにも言えるのだ。
 再びガッシュを見ると、「また会える……方法……」と呟いていた。


 ←77 - 377 - 5

 只今挑戦中金色のガッシュ!!

 topmain menuaboutchallengelinkmail