084.塞がれた穴


“breakdown〜real or delusion?〜”


 俺が異状を感じ始めたのは、ポドールイまであと少しと言う所だった。
 首筋がざわざわする様な、異様な悪寒。早くここから離れなければならないという脅迫観念に襲われて、無意識に馬の足を早めてエレンより前に出てしまうという事を繰り返してしまう。
「どうしたのトーマス、顔が青いよ?」
 何度目の時だっただろう、とうとうエレンが俺の前を遮る様にして馬を止めさせた。
「中途半端に飛ばしたって馬を疲れさせるだけだよ。あとちょっとなんだから、そんなに焦らないでよ」
「ああ、分かってる……」
「それともそんなに調子が悪いんなら、荷物そっちにまとめてあたしの後ろに乗る?」
「……いや、大丈夫だよ」流石にそれには首を振った。
「そういう訳じゃ無いんだ。ただ、何だか長居するとヤバそうな感じがするから」
「──トーマスも、そう思うんだ」
 エレンのそのセリフに、え、と思って俺は顔を上げた。そこにあったのは真剣だけどいつもと違う、不安さの混じった表情のエレンだった。
「あたしもヤな予感がするのよ。やっぱり、急いだ方がいいかも」
 しかしそう言うが早いか、エレンはダガーを取り出すと俺の後ろに向かって投げ付けた。俺の脇を掠めたそれは、固い音をたてて木の幹に刺さった。
 その瞬間、姿を現わしたのはインプだった。“悪魔”と呼ばれる系統のモンスター、中でも最弱の部類にあると言っても、数で来られたら今の俺達が逃げ切れるかどうか──かなり、難しい。
「トーマス!!」
 俺を促しながらエレンは馬を走らせた。俺もそれに続いた。迷っているヒマは無かった。まだ馬の方が足が速いから何とか振り切る。しかしインプ共もそれが分かっているので矢尻の様なものを術によって創り出し、放つ。それがあちこちに当たってちくちく痛むが、そんな事も気にしていられない。
 前にコウモリの群れが現れる。エレンはなたをブーメランの様に投げた。なたは水平に飛んでコウモリ共の首を刎ね、翼を切り裂いた。そして枝を落とし幹に深々と刺さったその反動で上から降って来るクモへ、俺はムチをふるって薙ぎ払う。
 正気を失った小さな妖精達、獲物を見付けて凶暴さを増す野犬の群、だけどそれら全てに構っている余裕もない、出来るだけ多くの敵を巻き込める手段で攻撃し、ひたすらに馬を走らせた。
 ……そして、俺達は、道に迷った。

「……ここ、どこ?」
 俺達が辿り着いたのはポドールイではなく、古い時代の砦だった。砦の周囲を巡る塀はところどころが崩れ、壁に空いた穴が昔ここであった戦闘の激しさを想像させる。……が、こんな所にこんな物があるなんて、俺は全く知らなかった。
「……さあな。とりあえずあの塔に登れば辺りを見渡せるんじゃないかな」
 俺は上の方に見えるそれを指差した。しかし、エレンは心底嫌そうな顔をして言った。
「それって、あたしも一緒に行かないとマズイ、よね」
 エレンは高い所が苦手なのだ。だけど俺は眼が悪いので、遠くまで見渡すにはどうしてもエレンが必要だった。
「しょうがないだろ、二手に別れるのは危な過ぎる」
「……そうだよね……」
 珍しい、滅多に見られないエレンのため息、それだけエレンにとって出来るだけ避けたい場所なのも分かる。でももうそれどころじゃない、早く本来のルートに戻りたかった。俺達は適当な所に馬を繋ぎ、足早に塔を登った。
 急いで塔の1番上まで登った。周りは完全に森だった。エレンがひたすら下を見ない様にして見回しながら言った。
「あっちの方に城が見えるね。あれって、あの吸血鬼伯爵のじゃない?」
「どこ?」
「あの辺。ほら」
 ポドールイの支配者はレオニードと言い、“吸血鬼伯爵”の通り名が示す様に、魔物でありながら人間と共存するヴァンパイアだ。その城は高台にあり町を見下ろす位置に立っている。どうやらそれが見えた様だ。
 指を差している位置からするとそれは南の方にあるらしい。少し西に寄っている気がするから、南南西といったところか。
「こうなったらもうさっさと行こう。……モンスターどもも、すぐ近くまで来てるみたいだし」
 エレンのセリフに、俺は反射的に森を見た。俺の目では見える筈もなかったが、それでも見ないではいられなかった。
 階段を駆け下りる。処が、外に出た所で、よりにもよってゴブリンと鉢合わせしてしまった。3体のゴブリンが雄叫びを上げて襲って来た。
 ゴブリンが手斧を降り降ろした。エレンはそれを紙一重で避けると、その首目掛けて回し蹴りを見舞った。首を異様な方向へねじ曲げてゴブリンは倒れた。ゴブリンが落とした手斧を拾ったエレンは再びブーメランの様に投げ付け、それが2体目のゴブリンの足を切り裂き、緑色の血をほとばしらせながらエレンの手に戻る。エレンはもう1度そのゴブリン目掛けて手斧を投げ付け息の根を止めた。残りあと1体。
 しかし最初のゴブリンの雄叫びを聞き付けたのか、他のモンスターまで集まってき始めた。目の前のゴブリンはエレンに任せ、俺は左から来た狼達へ術を放った。玄武の基本術、スコール。術を実戦で使うのは初めてだったが、広い範囲に攻撃出来るおかげで当たるかどうか気にしないで済むのがよかった。ほぼ巻き込んで足留めにはなる。俺はエレンに当たらない位置まで踏み込んでから、追い討ちを掛ける様にムチを振るった。
 その頃にはエレンもゴブリンの始末が終わって、寄ってはたかるクモの群れを蹴散らしていた。手足を、首を切り落とし踏み潰していくエレンから離れ過ぎない様に、俺は狼達から少しずつ後退する。しかし。
 そこで、視えてしまったのだ。狼の中の1体が人形へと変わっていくのが、見えなくてもいいのに見えたのだ。ぼやけた視界の中ではっきりと、それだけが見えてしまった。人狼、狼と人のハーフリングに、今の俺達がかなう訳が無い。俺はエレンの方へ振り返り、叫んだ。
「逃げろ、エレン!!」
 俺は全力で駆け出した。だが俺が背中を見せた事で、人狼は跳躍し一気に間合いを詰めて来た。影が一瞬頭を隠し、俺は左に避けて直撃をかわした。それでも爪が頬を掠め、鋭い痛みが走る。
 着地した人狼にムチを振るうが、人狼はその尋常じゃ無い反射神経でムチを掴んだ。人狼の力にかなう筈も無く、俺はすぐにムチから手を離した。代わりにスコールをお見舞いしてやったが、しかし人狼は軽く首を振っただけで全く効いた様子が無かった。更に詰め寄って来て襲い掛かって来る。
 爪が俺の右腕を切り裂いた。利き腕じゃ無いと言っても、腕力もない上丸腰の俺には立ち向かう術が無かった。
 もう1度、逃げろ、と言うつもりでエレンを見た。エレンは人狼を凝視したまま凍り付いた様に固まっていた。そのエレンの口が大きく開く。
 エレンが、絶叫した。辺りのもの全てを揺るがす叫び声、そして人狼がマヒした様にその動きを止めた。でもそれだけでは終わらなかった。
 人間の声にもこれ程の力があったのか? それともこれが共鳴というものなのか、びりびりとした振動が俺にまで伝わって来た。壁に、レンガ塀にヒビが入り、徐々に崩れ出した。エレンを中心にして振動波が広がっていくのが見えた。その直撃を受け、俺は気を失った。
 最後に見えたのは、何故か満月の下で“何か”に姿を変えるステルバートさんの姿だった。


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