“そこにいた彼女(クズ石)”


 リフことリフェルファータが初めて彼女と出会ったのは、魔法学園に入学して間も無い頃だった。
 それは図書室だった。室内でも一部の教師が根城にする場所以外のその殆ど、壁と空間を問わずその大半を占める書架はそれこそ文字通り床から天井まで大量の本で埋め尽くされており、高い所にある本は梯子を使わなければ取る事さえ出来無い。しかし、それでも限度はある。残念な事にリフは非常に小柄で、またその読みたい本は最も高い所にある上に、スライド式の梯子で左右から攻めてもその丁度中間の位置になっていて、どう頑張っても取れなかった。
 そうなると何が何でも読みたくなる。勿論その本に書かれている筈の中身が今の自分に必要と言う事もあるが、それ以上に“手が届かない”と言う事の方がリフにとって問題だった。つまりは、ムキになっていた。
 ──夜なら取れないなんて事はないのに!
 片足を梯子に引っ掛け、同じ側の手で梯子をしっかりと握り、もう片方の手を本へと伸ばす。そうして極限まで伸ばした手がもう少しで本に届くと思ったその時。

 梯子から落ちた。

 先述の通り、教師の中には図書室を根城にしている者がいる。これらは毎日では無いがある者は奇妙なモノを召還したり、またある者は怪しげな実験を行ったりしているのだが、生憎とこの日は“図書室”と言う言葉から受けるイメージ通りに静かだった。おかげでその落下音は思い切りよく響き渡ったものの、幸いなのはそれに合わせて珍しく人影もまばらだったと言う事だ。──が。
「大丈夫?」
 よもや声を掛けられてしまうとは思わなかったので、ぎょっとしてリフが声の方へと顔を上げると、同じ様に学園のローブに身を包んだ少女がリフを見ていた(このローブは全ての生徒を同じ姿に見せる魔法が掛かっているが、声までは変えられないのでリフはこの相手が女だと判断した)。体が火照るのを感じながらも、恐る恐るリフは聞いた。
「──まさか、見てた?」
 すると少女は、男の子の様ににかっと笑った。
「落ちるトコだけは、バッチリ見ちゃった──ああ、待ってよ!」
 最も見られたくない所を見られた恥ずかしさから逃げようとするリフのローブのフードを、少女は掴んで引き止めた。
「あそこの本が取りたいんでしょ? どの本か教えてよ。代わりに取ったげるからさ」
 確かに、ここで逃げてもあの本は読めないままである。渋々とリフが本の題名を口にすると、少女はするすると梯子を登り、そして本を手にすると何を考えているのか、そのまま飛び下りて来た。
「はい! この本でいいんでしょ?」
「あ……うん、ありがとう」
 半ば呆れながらも、リフは礼を言う。そして少女はきびすを返し、
「今度からはムリしないで誰かに頼んだ方がいいよ、きっと。じゃね!」
 と言って走り去って行った。
 それを見ながらリフは恩人に対して落ち着きの無いヤツだと思いつつも、司書の所へ取ってもらった本の貸し出し許可を取りに行った。

 …………

 次にその少女を見掛けたのは、学園長室へ続く通路の途中だった。
 この時はすれ違っただけだったが、やっぱり少女は通路を駆け、そして学園長室へと入って行った。
 それからも時折少女を見掛ける事はあったが、言葉を交わす事は無かった。

 …………

 再び言葉を交わしたのは、半年程が過ぎた頃だった。
 その頃にはリフもすっかり学園生活に慣れ、しかし相変わらず背は低いままなので、それによる不都合を被りながらも周りの手を借りつつ対処する様にはなっていた。
 それは、夜だった。リフは基本的に夜型だ。それもこれも僅かながらも夜の民の血を引いている所為だ。だから休みの前の日は、夜になるのを待って寮を抜け出す事が多かった(魔法学園は全寮制だ)。
 夜のリフは、昼に比べれば割と何でも出来る。身体能力は飛躍的に向上し、五感も鋭くなる。例えば今そこの木の枝を伝って学園の敷地を囲う壁に登ろうとしている者がいる事は、昼間のリフでも十分気が付くだろう。しかしこの暗さとこの距離でそれが一体誰なのかまでは、夜のリフでなければ分からない。
 それはあの時の彼女だった。だがそれが分かった所でその行動が怪し過ぎる事に変わりないので、リフは適当に近付くと声を掛けた。
「何やってんの?」
「うひゃぁ!」
 奇声を上げて彼女は地面に落下した。その気になれば助ける事も出来たが、所詮は自業自得なのでそうはせず、リフはゆっくり歩いて彼女の所へ行った。
「こんな時間にこんな所でそんな事やってるからだよ」
「夜なら見つからないと思ったのに〜……」
 言いながら彼女は顔を上げると、外灯(火の魔法の応用という名目で、週代わりで担当になった生徒が火を灯す事になっている)に微かに照らされた相手の顔に見覚えがある事に気が付いたらしい。目を大きく開くとリフを指差した。
「あれ、確かどっかで会ったよね?」
「図書室ではどーも」
 少し憮然としながらリフは言った。それは出来れば思い出して欲しくなかった事だが、そもそも好奇心のままに声を掛けなければ良かっただけの話なので、後悔しつつも白状した。
「あーうん、あの時のねー!」彼女は納得した様に何度も頷いた。「何だか立場が逆になっちゃったね、今回は」
「それはそうかもしれないけどさ」半ば呆れながらリフは言った。「一体、ここで何をやってたの?」
「さがしもの」
 彼女はきっぱりと言い切った。リフは腰が砕けそうになったが、気を取り直して更に聞いた。「こんな夜に?」
「だから夜なら見つからないと思ってたって言ったじゃない。それにあたし以外の人には分からない様なただの石ころなんだもん、それ」
「何だそりゃ」
「あたしにとってしか価値が無いものなのよ」彼女は少しムキになっている様な口調だった。「他の誰が手にしても意味が無いものなの。だからどうしても探さなきゃならないの。だいたい、そっちこそ何でこんな時間に寮から出歩いているのよ」
 最後はかなり八つ当たり気味の口調だったので、リフは素直に答えておく事にした。
「夜の民の血を引いてるからだよ。だからメフィヤーンス先生から許可貰ってるんだ」
 ハッタリではなく本当の事だったが、実は他の教師陣は知らないので、メフィヤーンス以外の教師に見つかると大変よろしくないのはリフも彼女と同じだった。
「うそっ」
「ホント」
「それじゃあ夜に出歩けないと困るもんね。……そっか、それなら夜でも外に出られるんだぁ……」
 あまりにも彼女が感心した様に、そして羨ましそうに言うので、リフは誤解される前に念を押した。
「ただし、寮の敷地から外に出ないって約束になってるけどね」
「……なぁんだ」
「どっちなんだよ」残念そうに舌打ちする彼女に、リフは突っ込みを入れた。
「まあ、いいか」しかし彼女は立ち上がると明るくさばさばとした表情で言った。「何かもう、今日はどうでもよくなっちゃった。バレたらマズイから、寮に戻るね」
「え? ああ、うん」
 彼女の変わり身の早さに戸惑いながらもリフは相槌を打つ。そして彼女が手を振って寮へと駆けて行くのを見送るとリフはため息を付き、夜空を見上げた。新月期の為、漆黒の闇に浮かぶ無数の星々の光が辺りを照らす。
 そしてリフは再び散歩に戻った。

 …………

 それからは、顔を合わせる毎に話をする様になった。大抵は学校の中だったが、ときにはフルーツパーラーや学園の生徒達が行き着けている喫茶店であったりもした。
 大概他愛も無い話だったが、時折探し物の事をリフが聞くと、なかなか見付からないと彼女は首を振った。

 …………

 ある日リフはメフィヤーンスに頼まれて、クリスティー商会まで実験に必要な機材を注文しに行った。授業が終わってからだったので、用を済ませた後もリフはそのまま許可を貰って、商会主のクリスティーの住居でもある宮殿の中を散策させてもらう事にした。
 流石はファ・ディール全土にその名を轟かす大商会主の宮殿だけあって、絵画や彫刻を始めとした美術品があちこちに飾られていた。しかもその大半が一流の作家の手によるものである事からも、その財力の凄さを見せつける(それ以外は将来有望等と言った、いわゆる“先行投資”の様なものだ)。リフはただ感嘆の声を上げながらそれらの作品を見て回った。……尤も、中には理解に苦しむ類のものもあったが。
 中庭にも足を向ける。そこは低木によって作られた迷路になっていた。入ってみたいと言う欲求と、そろそろ帰らなければと言う理性の狭間でリフが迷っていると、聞き覚えのある声がリフの耳に飛び込んで来た。
 振り返ってみると、そこにいたのはやはり、あの“彼女”だった。
「やっぱり。何でここにいるの?」
「先生に頼まれたから」リフは答えた。「そっちこそ、何で?」
「あたしの探し物がここにあるみたいなんだ」
 彼女はそう言うと、何かいい事を思いついたとでも言う様な顔になって続けた。
「……そうだ、ちょっと一緒に来てくれない? 地下の方にあるみたいなんだけど、色んなものがごちゃごちゃしててさ、どかすのを手伝って欲しいんだ」
「別に、いい、けど」
 そもそも寮の門限以外に断る理由も無かった──むしろ、それがあるから頼んでるのだろうとリフは思った。しかし、頷く前に聞かなければならない事がある。
「でも、ここの人はいいって言ったの?」
「だーいじょーぶ、大丈夫」彼女は自信満々に頷いた。「だってあんなの無断で動かせるワケないもの、先に断って来たわよ。でも思ったよりすごい事になってたからさ」
 それで誰かに手伝ってもらおうと探していた所、リフの姿が目に入ったと言う訳だ。
「わかったよ。だったら早めに済ませよう」
 リフが頷くと、彼女はリフを倉庫の方へと案内した。
「そこの階段を下りるとね、今は使われてない闘技場って言うのがあるんだって。そこにあるみたいなんだ」
 闘技場がまだ使われていた時、そこはロビーになっていたのだが、閉鎖されてからというものの、クリスティーは飾る場所がなかったり修理が必要なコレクションを保管する場所にしたのだそうだ。そしてその大半が石像や置き物なので、とてもではないが1人で動かすのはほぼ不可能だった。雑然と置かれたそれらを2人がかりで動かし、歩く場所を確保しながらようやく階段まで辿り着く頃には、リフは徐々に重い物を動かすのがラクになってきている事に気が付いた。つまり、夜になっていた。
「……門限、過ぎてるよなぁ……」
「どうせ怒られる時はあたしも一緒だってば。ここまで来て帰るワケにはいかないんだから」
「そりゃそうだけどさ」
 ランプを片手に階段を下りる。そこはひんやりとしていて、空気が少しホコリっぽくなっていた。それだけ人が入っていないと言う事だろう。
 だがうっすらとホコリの積もった床の上には自分達以外の足跡が付いていた。どうやら自分達の前にもここに来た者がいた様だ。
 リフは辺りを見渡す為、ランプを高く掲げた。瞬間、何かが光に反射するのをリフも彼女も見逃さなかった。
「あ……」
「あった!!!」
 彼女が“それ”に向かって駆け出し、拾い上げた。
「あった……良かったぁ……」
 彼女は安堵した様に、そして嬉しそうにそれを握りしめて抱え込むと、その姿が闇に掻き消えた。





 かつーーーーーーーーーーーん





 リフが茫然と立ち尽くす中、彼女が握りしめた筈の石の欠片が床に落ちて、冷たく乾いた硬質の音を辺りに響かせた。
 少しして我に還ると、リフはその欠片を手に取った。それは、緑色に反射する石の欠片だった。

 残響が、リフの耳にいつまでも響いていた。

 …………

 リフは寮の門限を破った事を咎められなかった。
 学園に戻った時、何故か教師の1人、カシンジャがそこにいたので怒られるだろうと思っていただけに拍子抜けしたが、それ以上に自分が遭遇した出来事への驚きが強過ぎて、何故と聞く事も出来なかった。

 …………

 後にリフは、ここで宝石泥棒騒ぎがあった事を知った。
 珠魅であった生徒の核が抜き取られ、またその生徒を捜して来るであろう者への足留めとして宝石泥棒が“ジュエルビースト”を造り出し、放ったのだそうだ。そしてリフが拾ったのは、そのジュエルビーストの核の一部となった宝石の欠片だった。
 ジュエルビーストは珠魅と違い、多くの人の手から手へと渡り歩く間にある種の意識が宿った宝石を核として生み出された魔獣である。変成の術さえ使えれば割と簡単に生み出す事が出来るが、その分だけ外見や強さは術者の腕に大きく左右されると言う。
 鉱物学的には同じであっても、珠魅の核と通常の宝石には決定的な違いがある。それは魔力だった。珠魅の核には膨大且つ強力な魔力が籠っていると言われているが、通常の宝石には媒体になる程度しか無い。その為魔導師達は、魔力を取り尽くした珠魅の核や通常の宝石を“クズ石”と呼んでいた。それは教師の1人ヌヌザックが、自分の預かりでもあるその珠魅の生徒を呼ぶ時に使う言葉でもあった。
 今、例の欠片はメフィヤーンスの所に預けられている。余りにもそこに籠った“念”が強い為、魔法使いとしてはまだまだ未熟なリフではそれに感化される怖れがあるからだ。だから卒業を迎えて1人前の魔法使いとして認められた時、リフに引き取る意志があれば再びその手に戻される事になった。
 リフは考えた──自分が再びあの欠片を手にした時に、何がしたいのかを。
 教師達から聞いた話によると、“彼女”の姿は珠魅の生徒のものであったらしい。その珠魅は噂に聞く英雄によって身体を取り戻し、状況が落ち着くまでは珠魅の集落、煌めきの都市に身を寄せていると言う。もしもそこへ行けるのならば、その珠魅の話を聞くのもいいかもしれない。
 今でも、リフは思い出す──彼女が欠片を手にした瞬間を。夢見る様な笑みを残して欠片に還った瞬間を。
 多分、もう1度会ってみたいんだろう──そう、リフは思った。
end
よんだよ


 Legend of MANAあとがき?

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