“君の居ないこの世界で〜彷徨の回廊〜”


 ミンダス遺跡で、双炎は途方に暮れていた。
 そもそも、彼はガトへ遊びに来ただけだった。それでついでにテラスにでも登って眺めを楽しもうと思ったら、案の定アーウィンを追って妖精界へ行った筈のダナエが寺院へ向かうのを目にしてしまい、それでついその後を付けてマチルダのいる瞑想の間へ行ってしまったのだ。
 そして横たわるマチルダに向かってダナエが妖精界へ行こうと切り出した所へエスカデまでもが現れて修羅場になり、エスカデがダナエを斬り付けた所でマチルダが何やら呪文を唱えると同時に双炎を浮遊感が襲い──気が付いたら“1人で”ミンダス遺跡の地下に立っていたのだった。
 双炎は、筋金入りの方向音痴である。遺跡の地下は造りがシンプルな1本道とは言え所々にモンスターが待ち構えているので、それを退けた後に間違えて元来た通路を戻るなんて事を当たり前の様にやってしまう。そうして右往左往した結果、再び突き当たりの部屋に戻って来ては出口へ向かう筈の通路を歩き出す、と言う事を何度も繰り返し、ようやく地上に上がる。
 そこで風に乗って微かに耳に入って来たのは、剣戟に似た硬質の音だった。
 ぎくりとする。それが聞こえた事に、では無くその音が意味する事に。

 ──どうしようか?

 自問自答する。こうなる事は分かっていた。マナの女神との邂逅の後、自らの記憶と経験、そして自分が目覚める事になるマイホームにあるもの以外は全て真っ白にされた世界に戻されるループを何度も繰り返す中で、このマチルダを巡るダナエとエスカデ、アーウィンの3人の諍いにもほぼ毎回の様に巻き込まれていた。だからマチルダが双炎達を何処へ転移させても必ずダナエとエスカデがここで戦いどちらかが死ぬ事も、そして最終的に4人の中でその死ななかった方だけが生き残る、或いは4人全員が死んでしまう事も分かっていた。
 そう、分かっていた事なのだ。
 なのに、傍観する事無く首を突っ込んでしまったのは、最早そういう性分だからとしか言い様が無い。だがこれまでに体験した事を数えきれない程繰り返させられ、いい加減倦んで来ているのは確かだった。例え結末が分かっていても、それを物語として見聞きするのならばまだ、いい。しかしその登場人物として行動させられる上、自分以外の登場人物は話の筋から結末まで何も知らない=全てを忘れた状態になっているのだ。自分だけが全てを知っている上で操り人形として役柄を演じるのは1度で十分だ。
 なのに、それでも行かなければと思う。
 逡巡している間にも足は勝手に動き出し、それが正しい道筋かどうかも分からないまま右手方向に走る。だが道は木の柵で塞がれていた。

 ──行ってどうするの?

 早く行かなければと気が急いている自身に対して問い掛ける。この先へ行くには鍵となる花人を探して柵を動かさねばならず、しかしその花人を探す間にも道に迷う自信が双炎にはあった。

 剣戟の音は、まだ続いている。

 あの音が本当にその2人のものだったとしても、そしてもしまだ戦っている最中に辿り着けたとしても、双炎は傍観を決め込むつもりだった。決闘の場に割って入るなんて無粋な事はしたくなかったからであり、それだけなら2人の決着の結果を見るだけで十分だからだ。それが2人の選択ならば、例えどちらかが──或いは2人共が死ぬ事になろうとも、そこに第三者が口を挟む筋合いは無いと双炎は思っていた。
 急ぐ必要は無い筈だ。道に迷いながら、走り回ってまでして行かなければならない理由なんて何処にも無い筈なのだ。
 それなのに、足は勝手に動く。迷うと分かっていても向かわずにはいられない。

 ──何故?

 どうして自分はそこへ行こうとするのだろう、双炎は走りながらそう思う。やっとの事で鍵花人を発見し動いてもらいながら、しかしもう終わっているんじゃないかと考える。
 実際、地上に出た時にはまだ高い所にあった太陽がかなり傾き、自らの影が長くなって来ている事からも、それだけの時間が過ぎている事が分かる。既に決着が付いていてもおかしくはない。
 そう、おかしくはない筈なのに。
 なのに、風に乗ってあの音が1度だけ,微かに聞こえて来た。

 ──まだ続いてるんだ……

 反射的に歩き出す。ゆるゆると、だがそれは徐々に早足となり、やがてまた駆け足になる。
 進んでいる方向が正しいかどうか分からないのに、また迷うかもしれないと言うのに、それでもあの2人が戦っているであろう場所へと足が動く。
 もう何度目なのかも分からない程、何故そこへ行こうとしているのかを自身に問い掛けようとしたその時、

“それじゃ、どうして炎は行きたくないの?”

 そう聞き返すもう1人の自分──双華の声を聞いた気がした。

 …………

 思わず立ち止まって辺りを見回す。
 あの子が──双華がここにいる訳が無いと分かっていながら、ついその姿を捜してしまう。
 双炎と双華は、存在出来る世界が違うだけの<同じ自分>だ。幼い頃はこの世界で共に過ごしたのだが、同じ世界に<自分>が2人いるのは異常な事であり、その為に世界が歪むからと、双華は本来あるべき世界へ還ったのだった。
 だが、その姿を見る事が出来無い訳では無かった。例えば時折相手が遭遇した、或いは遭遇している出来事を夢で見る事がある。鏡に映した様に同じ世界を──ただ双炎の世界では双華が、双華の世界では双炎が存在しない事だけが違う同じ世界を、時に1人で、時には仲間達や同居人の双子と共に、泣いたり笑ったり怒ったり呆れたりしながら冒険する様子を見る事が出来た。
 とは言え、それは非常にもどかしい事でもあった。確かに全く姿を見る事が出来無いよりも、何も分からないでいるよりもマシかもしれない。しかし見ている事しか出来無いと言うのは、やはりもどかしい。
 だが、もしかすると双華も同じ様にもどかしい思いをしているのかもしれなかった。未だにそれを確かめる術は見付けられずにいるが、稀にこんな風にその声が聞こえた様な気がしたり、その存在を近くに感じる事があった。

 ──どうして、僕は行きたくないんだろう?

 聞き返して来たその言葉の意味を考える。よくよく考えてみれば、これは非常に双炎らしくない事だった。双炎は軽視する事もされる事も嫌いだった。にも拘らず、マチルダを巡るこの一連の騒動に対して双炎が投げ遣り気味だった事は否めない。

 ──何故、僕は距離を置きたがったんだろう?

 本来の双炎ならば、相手の事情などお構い無しに容赦無く首を突っ込み引っ掻き回していた筈だ。確かに結果的にここまで関わる事にはなったが、思い出してみれば1歩下がった所からというか、自ら微妙に距離を置いている感覚が常にあった。

 ──もし、華だったらどうするだろう?

 ふと、そんな事を考える。同じ“自分”でありながら──鏡に映った己の姿が自分でありながらも自分ではない様に──双炎と双華は微妙に違う所がある。それは双炎が男で双華が女である様に、何処か互いに補完する様な所があった。
 だから考える。もしこれが双華だったら、どういう行動に出るのだろうと。
 きっと迷わずあの2人の所へ向かうだろう──それは確信出来る。では、その後は?
 何が何でも止めに入るだろうか。
 やりたいだけやりなさいとでも言って、あえて傍観するだろうか。
 それとも──ダナエとエスカデ、そのどちらかに付く事を選ぶだろうか。
 選ばなければならないなら選ぶだろうなあ、とは思う。ただ、そうなるまでに双華自身が望む結末にする為の行動を取る事を惜しまないだろう──他の誰でもない、自分の為に。そしてそれは本来双炎も同じ筈なのだが、どういう訳かここに至るまで、双炎は何もしなかった。

 ──何で、僕は何もしなかったんだろう?

 何もしなかった、と言うよりはむしろ全てに受け身になっていたとも言える。彼らに対して、双炎自ら動いて関わろうとしなかった。
 そして今、双炎はここにいて、まだ迷っている。
 行きたくないと思いながらも、行かなければと言う思いが無意識の内に足を動かす。

 ──どうして僕は行きたくないんだろう?

 行かなければと思っているのに、色々と理由を付けては行きたくない自分を正当化しようとしている。
 何故、そうまでして行きたくないのか。
 知っている者同士が戦っているのを見たくないからでは無い。
 どちらかが、或いは2人共地に伏せた所を見たくないからでも無い。
 途中で関わるのを止めるぐらいなら、最初から関わる事なんかしない。それなのに何故、この期に及んで避けようとしているのか?
 こんな自分を見て双華は何と言うだろうと考えようとしたが、すぐに止めた。考えるまでもなく「なっさっけなーい!」と言って呆れる顔が想像出来たからだ。
 ああそうだよ──ここにはいないもう1人の自分に向かって開き直り気味に双炎は呟く。確かに今の自分は情けない事この上ない。それは認める。本来の双炎なら取るだろう行動を何1つしていないのだから、情けなくて当然だ。こうして道に迷うのも日常茶飯事ではあるが、普段なら迷子になる事自体を楽しみながら先へ進むと言うのに、今はそれすらも行きたくない為の言い訳にしてしまっている。
 いったい何を怖がってるのよ──双華にそう言われた様な気がして、怖がってなんかいないと心の中で反駁する。だがそこに引っ掛かりを感じて、双炎は首を傾げた。

 ──怖がっている?

 何も怖れる様な事は無い筈だ。少なくとも向かおうとしている場所で行われている事、そこで自分が目にするであろう事に対しての怖れは無い。──だが。
 それならば、何故“怖がっている”と言う言葉に反応したのだろうか?

“そうね、少なくともこれから炎が見るかもしれないモノを怖がってる訳じゃない”

 ……もう1人の自分が、煽る様に問い掛けて来た。

 …………

 更にはっきりと聞こえて来たその声に双炎は顔を上げると、崩れかけた石柱にかぶる様に双華の姿が透けて見えた。
 それは今までに無かった事だった。鏡などに映った姿を通して“視えた”事なら過去にもあったが、身体が透けているとはいえ同じ世界に存在している様に見えるのは──双華が自分の世界に還ってからは──初めての事だった。嬉しさと懐かしさから双炎は歩み寄り手を伸ばそうとしたが、笑顔の双華から放たれた言葉に足を止めた。
“憶病者は近寄らないで”
 そこでようやく双炎は、双華の目だけが笑っていない事に気が付いた──普段の双炎ならすぐに気付いたであろう事に。その言葉に、胸が詰まるような感覚も吹き飛ぶ。
「僕が、憶病者だって──?」
 流石に憶病者扱いされた事にカチンとしながらも、それを悟られないように笑みを浮かべつつ応える。そしてそんな双炎に対して、にこにこと笑いながら双華は応じた。
“あら、違うの?”
 それはごめんなさい、と全く悪びれもせず双華は続ける。自分が悪いなんて欠片も思っていないのは明白だ。
「そもそも、僕のどこが憶病者だっていうの?」
“言わなきゃ解らないの?”
 驚いたように双華は言った。それもかなり大げさに、わざとらしく。
“だって、何を見るのか怖いだけならとっくにあの2人の所へ行く事にしてるじゃない。もう何度も見たから見に行かないなんておかしいわよ”
「これだけ何度も同じ事を繰り返されれば、誰だって飽きるよ」
 決め付けられ、むっとしながら双炎は反論する。だが、その口調は双華ほど強くなかった。
“じゃあどうしてまた関わったのよ? 飽きたって言うのなら無視しておけばよかったじゃない──何もかも、全部”
「それは──そうだけど」
 自分でも思った事なので、口ごもりながらもそれだけは認める。しかしそれでもまだ双炎は、行きたくない理由を探していた。
 自分から視線を外した双炎に、双華はため息を付くと言った。
“ねえ、もう分かってるんでしょう? 何で行きたくないのか”
「…………」
 双炎は答えなかった。答えられなかった。答えられる訳が無かった。自分でも薄々気付いていたからだ。だがそれは認めたくないものでもあった。
 この先にある可能性。
 今回もまた遥かな昔、双華と過ごしたあの場所へ──聖域へ行かなければならない日が来る事。
 そこで自分が──自分達がする事としなければならない事。
 だけど怖いのはその事じゃない。
 ダナエとエスカデに象徴される“モノ”。
 自分達の関係。
 双華が自分の世界に還り、双炎がそれに付いて行かずに自分の世界に留まる事を選んだのは互いの合意の上での事だった。それは自分達が一緒にいても大丈夫な方法を探す為でもあった。しかし結局これまで1度たりとも双華と再会する事はおろか、同じ世界に留まる方法やその手掛かりすら見付けられなかった。
 この後聖域へ向かったところで、これまで通り双華だけがいない“元通りの”世界に戻される確率は高い。──だが。
 万に1つの可能性の向こう側で双華と再会出来たとしても。
 もし。
 もしも。
 同じ世界に留まる為には相手を倒さなければならないとしたら?
 あの2人の様に戦わねばならないとしたら?
 どちらかが死なない限り、同じ世界で過ごす事が出来無いとしたら?
 ──その時、自分に双華を倒す事が出来るのか? 倒される覚悟はあるのか?
“本ッ当に情けないわね、いつまでそうやって可能性を閉ざすの?”
 煮え切らない双炎に、双華は呆れ果てた様に言った。
“出来無いかも知れないからって何もしなかったら何も変わらないじゃない。先に進まないのなら何の為に迷ってるの?”

 迷うって事は、先に進む為にするモノでしょ?

 …………

 剣戟の音が、また響いて来る。
 目を閉じて、深呼吸を1つする。
“……やっと、その気になったわね”
 ──まあね。
 目を開けて、もう1人の自分の声に頷きを返す。その顔には、本来の双炎ならではの皮肉さを湛えた笑みがあった。
 もう1度双華と共に過ごせるのならどんな手段をとる事も厭わないと思っていたのに、何故ここまで躊躇っていたのだろう?
 迷ったっていい。
 時に怖れる事があるのも仕方が無い。
 だけど、それを立ち止まる事への言い訳にしてはならなかったのだ。

 ──この僕が、こんな簡単な事に気付かなかったなんてね。

 いつの間にか双華の姿は消え失せていたが、声が聞こえるだけの時もこんな調子だったので気にしていなかった。むしろ自分の目を覚ましてくれた事に感謝していた──間違っても、口が裂けても本人を前にしてそんな事は言わないが。
 前を見据える。まずはあの2人の所へ行ってやろう──双炎は思った。無論、ここまで関わる事から遠ざかっていた分も含めてだ。
 道に迷ったって構わない。最終的にそこに辿り着ければ何だっていい。
 あらゆる出来事の先にもう1度双華と出会える未来がある事を信じて、遺跡を駆ける。
 やがて視界が開け、風の塔の前の踊り場で満身創痍になっても未だ刃を交える2人の姿が双炎の目に映った。
end
よんだよ


 Legend of MANAあとがき?

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