“闇への序章”


 薄暗い神殿の中を、俺は彷徨っていた。
 身体が芯まで冷えきって重い。思う様に動かない。

“アーサー”

 女の声が俺を呼ぶ。重い身体を引き摺る様にして声を頼りに進んで行くと、そこにメロディがいた。だが、近付いた途端、その姿は暗闇の中に掻き消えた。

“アーサー”

 今度は男の声だった。振り返ると、そこにいたのはフォルテだった。しかし、やはりすぐに消えてしまう。

 ──何がどうなっているんだ……

 脳味噌がねっとりとした脂に浸けられている様だ。考えがまとまらない。頭が重い。水を張った器の中に入れられて、その器に与えられた衝撃が振動となって襲ってくる様な、そんな感じの鈍い痛みが間断なく続いている。


 …………


 始まりは、エンリッチからの依頼だった。
 それも、国王直々の招聘《しょうへい》だった。大仕事の予感に胸を踊らせつつ、俺はそれに応じた。そこで俺は、最近傭兵仲間の間でも話題になっていた2人組の傭兵、黒魔導師のフォルテと精霊使いのメロディに引き合わされた。
 依頼内容はこうだった。

“デザイアの鉱山へ逃げ込んだ忍者、ローディを討伐せよ”

 少し厄介な相手だな、それを聞いて俺は思った。忍者は総じて身のこなしが軽く、風変わりな技を使う。しかもローディはかなりの強者だという話だ。3人で行けというのはつまり、より確実に仕留めたいからなのだろう。
 鉱山に着くと、入口の前で3人の兵士が何やら話し込んでいた。彼らにローディの方のパーティーの事を聞いてみると、何とたった1人だという。当然と言えば当然だろう。忍者なんて、例え1人であっても普通の兵士の手には余りすぎる。
 だが、その後のメロディの言葉は正直痛い所を突いていた。

“だったら私達2人で十分じゃない。どうしてこいつまで必要なのよ!”

 ……確かに、俺の名が知られていると言った処で所詮は辺境止まりだ。素早い忍者に確実にダメージを与えると言う点を考えても、魔法が使える連中の方が都合はいい筈だ。そしてそこまで考えて、ふと思った。──もしかして、俺ってこいつらの盾なのか?
 更にその考えを裏付ける様に、中に入ってすぐ2人は俺に向かってこう言った。

“さて……これからローディを探すわけだが、キミに先頭を行ってもらいたいんだ”
“私達ってとってもデリケートなの。こういう所は戦士系のあなたが先に行くべきよ、そう思わない?”

 ──まあ、こういうパーティー編成の場合、普通に考えてもそうするべきだしな……

 俺は内心ため息を付きながら頷いた。


 …………


 また、男の声がする。

“我と運命を紡ぐ者よ”

 この言葉には聞き覚えがある。暫し考えて、それがローディのだという事を思い出した。果たして、少し進んだ所に奴はいた。

“ごろつき傭兵は去るがいい”

 その姿が溶ける様に消えた、と思ったら更に奥の方に移動していた。

“果たして、オレを倒せるか?”

 剣に手を掛けた奴の姿が、今度こそ本当に消えた。


 …………


 鉱山の中はひんやりとした空気で満たされていて、少し投げやりになっていた気分を引き締めてくれる。空気の流れに乗って、微かに土の匂いがした。──長い事閉鎖されているだけあって、ホコリ混じりではあったが。
 坑道にはあちこち分岐があったが、所々に兵士がいてローディの向かった方向を教えてくれた。その大半が何らかの傷を負っていたところを見ると、恐らく返り討ちにされたのだろう。しかしどれもこれも急所からは外れており、致命傷にもなっていない、だが確実に相手を動けなくさせるその手際の良さに、奴の技能の高さが伺える。
 空気の流れが強くなり、合わせてごおん、という音が微かに聞こえてくる。更に奥へ進むと吹き抜けが現れ、見上げると青空が広がっていた。暗がりに慣れた目にはそれだけでも眩しい。
 吹き抜けを通り過ぎると、今度は広めの空間がそこにあった。その明るさの落差にすぐには適応出来ずにいると、男の声が辺りに響いた。

“やってきたか? 我と運命を紡ぐ者よ”

“お前と運命を紡ぐ……だと?”フォルテが前に進み出て言う。
“あなた、ローディね……”更にメロディまで前に出てきた。“今おかしなことを言ったわね、運命を紡ぐって……”

“なんと、3人いるではないか!”

 メロディのセリフを遮って発せられたその声は、心底驚いている様だった。そして確認する様に続ける。

“どうやら賢者サバトに命じられ、ここに集いし者……ではないな。お前達は魔女リリクスの雇いしごろつき傭兵達か、そうであろう!”

“ごろつき傭兵とはごあいさつね、ごろつきはあんたじゃないの?”
“我々はエンリッチ王の命を受け、鉱山に隠れたどぶネズミを……ローディ、お前を倒しに来たのだ”

“どぶネズミとは傑作だな?”奴は鼻で笑うと言った。“つまりオレの待ち人ではない訳だ。その調子では帰れと言っても帰るまい”

“お前がおとなしくその首を出せばな”

“それぞれ腕に覚えがあるらしいが、果たしてオレを見事倒せるかな? やむを得ぬ、相手になってやる!”

 奴が姿を現す。俺はすかさず前に出てその剣を盾で受け止めながら、背後から差し込む光が急激に薄れていくのに気が付いた。


 …………


 気が付くと、微妙に違う場所に俺はいた。
 少し離れた所に奇妙なものが落ちていた。近付くと、それは途端に膨れ上がり、触手を俺に向けて伸ばしてきた。後ろに飛び退いてそれを避けると一瞬周りが暗転し、広間とでもいう様な場所へと変化した。
 目の前には通路があった。だがそこを進もうとした途端、影の様な何かが現れ行く手を塞いだ。

“生まれてくるべきではなかったのだ”

 それは器用に髪を逆立てた人間だった。いや、本当に人間なのか? 死人の様に青白い顔を鉄仮面で隠し、唯一あらわになった目には深い悲しみと強い怒りの感情が籠っていた。そして、

“生まれてなどこなければ良かったのだ。この俺の苦しみが、誰に分かる!”

 その感情をぶつけるかの様に叫ぶと、そいつは突風となって消えた。風が収まり、辺りを見回すと反対側に小さな影が見えた。行ってみると、それはエンリッチ王の依頼を受けた時、その隣にいた老婆だった。

“スピリットは渡さぬぞ”

 だが、あの時には気付かなかった禍々しい何かが老婆から滲み出ていた。背中に冷たいものが流れる様なその感覚に思わずあとずさると、背中が何かにぶつかった。


 …………


 ローディの刃を盾で受け止める。すぐに奴は後ろに飛び退いて態勢を立て直し、次の攻撃へ移る。俺はそれに対応するのが精一杯で、全く攻撃する余裕が無かった。
 辺りはすっかり暗くなり、相手の姿がぼんやりとしか判別出来無い。俺とローディの剣と刃、盾がぶつかる時の火花と、フォルテの放つブレイズの炎が唯一の明かりだった。しかし一瞬の光で奴の姿を確認しても、次の瞬間には別の角度からその刃が襲ってくる。防ぎきれなかったそれは左腕をなぞっていった。メロディがヒールを唱える。
 不意に奴の気配が消え、姿までも見失った。行動しあぐねていると、奥の方で何かが光るのが見えた。イチかバチか、俺はそれに向かって斬り掛かった。ブレイズに似た炎が飛んでいくのと、確かな手応えを感じたのはほぼ同時だった。

“フォルテ!”

 メロディが叫ぶ。あの炎はフォルテに当たったらしい。

“……お前達を甘く見ていた様だ”

 低く、ローディが呟く。

“だが、まだ膝を折る訳にはいかぬ……使命を果たさぬ限り……”

 ゆっくりと、奴が立ち上がる。その様子に俺はぞっとするものを感じた。これ程までにこいつを駆り立てる使命というのは一体何なのか。ここで誰を待ち、何を為そうとしているのか?
 だが唐突に地鳴りの様な音とその振動が辺りを揺らし始め、次の瞬間、何かが激突した様な轟音と共に地面が激しく揺れる。何とか踏ん張りながら見上げると、奇妙なものが天井を突き破っていた。大小様々な瓦礫が降り、俺は盾でそれを避けようとした。視界の端で破片の1つがローディの頭を直撃するのが見えた。奴が倒れ込むのと足下に亀裂が走ったのはほぼ同時だった。

 一瞬の、浮遊感。

 床が抜けた。

 落下する。亀裂は更に広がり、岩塊と共に皆落ちていく。地面に叩き付けられ、衝撃が全身を襲う。その間も追い撃ちを掛ける様に瓦礫は容赦なく降り続く。
 最後に見えたのは、奇妙なものから降りてくる3つの光だった。


 …………


 驚いて振り返ると、更に恐ろしいものがそこにいた。

“お前が、ローディと共に運命を紡ぐ者か?”

 コウモリの様な巨大な翼を生やし、優に2メートルはあろうかという大男だった。闇が凝縮して人の姿を取った様な、見る者全てに恐怖を与える、そんな恐ろしい迄の存在感がある。

“創造主は我に何を望む!”

 容姿に違わない、他者を威圧し圧倒する声だ。だがその言葉はひどく何かを訴え掛ける様に切迫していて、その迫力は目を逸らす事さえ許さず、俺はただあとずさるしか出来無い。誰かが俺の名を呼んでいた。

“我は千年王国など望まぬ!”

 更に強い口調でそれが言う。俺を呼ぶ声がそれに重なる。これ迄と比べ物にならない激しい痛みが襲ってくる。あまりにも堪え難いその痛みに、俺はその場に膝を付いた。


 …………


 目を開けると、目の前に青い奇妙なものがいた。

「大丈夫ですか……というのは適当じゃないですね」

 それは栄養失調の赤ん坊を思わせる姿をしていた。耳に当たる部分は大きくひらひらとしており、ひょろりとしているくせに腹だけがぽっこりと出ている。

「あなたの命の炎が消えようと……急がなければなりません。我々は創造主に作られたスピリット、そしてあなた方は事故によって今、生死の境にいます」

 ──創造主? スピリット?

「元はといえば、我々の避難ボートが皆さんを傷付けたからなのですが……。私も入るべき身体が必要なのです。この邪悪な気の中にいると、いずれスピリットは変質してしまうのです」

 ふと、さっき見たモノの姿が頭をよぎった。俺に向けて触手を伸ばしてきた、もしかしてあれがそうなのか?

 するとそれは頷く様に頭を動かし、左を向いた。
 そこにはローディが横たわっていた。そしてその身体から青く光る玉が現れると、それと同じ姿になった。

「ローディは落石に脳をやられ、多くの記憶を失いました。もはや一刻の猶予もありません。
 ですが、我々スピリットには再生の力があります。我々が体内に入る事によって、やがて彼の全ても元に戻るでしょう。……但し」

 それはそこで言葉を切った。少しの間の後、先を続ける。

「破損した脳が再生するまでの間、彼はスピリットに制御される事になります。これだけは、どうにもなりませんので」

 現れたそれが再び奴の中に戻る。そして俺の前にいる方のそれは右に向き直った。そこにはメロディが横たわっており、今度は赤く光る玉が現れるとやはりそれと同じ姿になった。

「メロディは胸骨が肺に刺さって非常に危険な状態にありますが、これもスピリットが正常に戻します。ローディと違って我々が彼女の自由を損なう事はありません。自分の意志で行動出来ます」

 そこでまたそれは言葉を切った。

「しかし、彼女は一時的に意識が戻った瞬間、仲間が悪霊に憑依される所を目撃しました。残念ですが、我々にもその悲しみを癒す事までは出来ません」

 よく見ると、彼女の顔には涙の跡があった。そういえばフォルテがやられた時も、彼女は声を上げていた。それだけ彼女にとってその存在が大きいのだろう。でなければこんなあどけない顔をした少女が、コンビを組んでまで殺伐とした傭兵稼業をやっている訳が無い。

 そして赤いそれが彼女の身体に戻り、俺の前のそれは俺に向き直った。

「あなたも、全身の打撲と出血で危険な状況にあります。但しスピリットの入った身体は3つ1組で離れる事は出来ません。例えそれが敵同士であったしてもです。2人はそれを承知してくれました。あなたも、承知して戴けますか?」

 俺は頷いた。ある意味、それ以外に選択肢は無かった。俺は死にたくなかった。こんな所で死ぬつもりはさらさら無かった。
 それが青い光の玉となり、俺の中に入ってくる。俺は目を閉じた。冷えきった身体に温もりが戻ってくる。──これが、再生の力なのか……。


 …………


 再び目を開くと、穴の開いた天井から青空が見えた。

「あ、起きた?」

 それはメロディの声だった。それ迄と全く変わらない、明るい口調だった。
 俺は身体を起こした。再生されたといってもまだ調子は完全じゃない様だ。大分ラクになったとは言え鈍い頭痛は続いているし、指先等にはまだ少し痺れが残っていた。

 隣では、岩塊のひとつに腰掛けたローディが頭を抱えて呟いていた。

「……オレはお前達と戦っていたが、何故戦わねばならなかったのか…………だめだ、断片が浮かぶに過ぎぬ」

 ──本当に、重症だな……

 先程まで戦っていた、俺1人ではまず倒せなかったであろう相手の変わり果てた姿を見て、俺は何だか情けなくなった。それはメロディも同じだったらしい、彼女は深いため息を付いた。

「……こうなってしまったからには、スピリットが言うまでもなくローディと戦う意味も無いわね。彼らが私達の身体にいる間は協力してやっていきましょう」

 俺は頷くと、立ち上がった。メロディがローディに声を掛ける。

「あなたは? ローディ、大丈夫?」
「身体の方は何ともない」ローディはゆっくり立ち上がると、頭を振った。「しかし戦いの技術は忘れてしまったらしい……まあ、命が助かっただけでも拾い物か」

 ──確かに、そうかもしれない。

 この様子ではローディは頼りになりそうもないと言う理由から、結局俺がパーティーのリーダーを務める事になった。

「まずは、ここから出ないとな」
「それにフォルテも探さなきゃ。悪霊に憑依されたばかりの今なら、まだ間に合うはずだもの」
「そうだな……」

 とりあえずこの広間から出るべく、注意深く瓦礫の上を歩く。通路に入ってすぐの所でゴーストが現れたが、取り立てて苦労はしなかった。──やはりローディが、この程度の相手ですら一撃で倒せなくなっている現状に戸惑ってはいたが。
 出口への道を探すのは比較的容易だった。所々にぶら下がっている看板がそれを示してくれていたからだ。それを辿りながら、俺はこれからどうすべきか考えた。
 3人1組で離れられない以上、この仕事は完了させる事が出来無い。討伐はおろか、引き渡す事すら出来無いのだ。もし引き渡すのなら自分達も一緒に牢獄に入れてくれと言うしかないなんて、いい笑い話だ。
 そうなると、問題はエンリッチの兵達に会った時の対応だ。事情を説明したところで分かって貰えないだろう。常人の理解を越えている。俺にしたって、自分が当事者じゃなかったら信じられない。──面倒な事になりそうだ。
 俺達は、気付いてなかった。これがこの国を揺るがす騒動の発端であった事を──ましてや、俺達の人生そのものまでをも変える事件である事さえも、俺達はまだ知る由も無かった。
end
よんだよ


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