“指輪とカードとジョーカーと”


 リュート達と別れた後、エミリアは幾つかの任務をこなした。その中で最後に回って来たのが、バカラへの潜入である。
 最初、エミリアはこの任務に対して全く乗り気では無かった。しかしバカラにジョーカーが出入りしていると聞き、一転して志願した。そもそもエミリアはジョーカーに復讐する為にグラディウスに入ったのだ。
 バカラへは、アニーとライザの2人と向かう事になった。直属の上司であるここクーロン支部のリーダー、ルーファスから今回の作戦用の費用と変装用の衣装を渡され、3人は到着すると早速それに着替えた。
 バカラはカジノで成り立っているリージョンである。バカラの産業は全てカジノの為にあり、カジノへ遊びに来る者達が落として行く金によって潤っている。
「スゴイ熱気だね」
 フロアの様子を見て、アニーは言った。衣装はやはりというか、相変わらず露出の多いイブニングドレスだ。「みんな目の色が違うわ」
「ギャンブルは人を狂わせる」
 冷ややかにライザは言う。こちらはつばの広い帽子をかぶり、何処となく有閑マダムといった風情である。「お金がかかると、尚更ね」
「……ちょっとちょっと」
 エミリアはそんなライザの肩を叩いた。「何で2人共普通のカッコで、私だけバニーなのよ?」
「情報収集の為よ」さらりとライザは答える。「3人が3人共お客の格好じゃ、聞ける話も聞けないでしょう?」
「そういう問題じゃなくて」ライザの答えにエミリアは地団太を踏んだ。「私が言いたいのは……」
「似合ってるよエミリア、メリハリきいてて、まさにセクシーダイナマイトだねっ」
 エミリアの言葉を遮り、アニーは強引に話題を変えた。そんなアニーの意図を察し、すかさずライザが言葉を継ぐ。
「本当にあなたは何を着ても似合うわ。流石、元トップモデルは伊達じゃないわね」
「え、そ、そうかな?」2人のセリフを聞いて、エミリアは少し気を良くしたらしい。突然の話題の変化に戸惑いつつも、その表情は明るい。「そりゃ、今でも体型には気を使ってるけど」
「どーりでねえ。やっぱりバランスのいいカラダしてると違うわ」
「同じ服でもエミリアが着ると全然違うものね。私達ではあなたの様に着こなす事は出来無いわ」
「やだなー、そんなに持ち上げないでよ」先程までの怒りは何処へやら、エミリアはすっかりその気になっていた。「じゃあ、行ってくるわね。いらっしゃいませ〜」

 …………。

 そしてエミリアは、足取りも軽く欲望と熱気に充ち満ちたカジノの人込みの中へと消えて行った。
「……やっぱり、単純だね」
「──なりきっちゃうのがあの子の凄い所よ。さあ、私達も行くわよ」


 …………


 そんな訳でエミリアはバニーガールとしてフロアを歩き回り、情報収集に勤しんだ。そして、幾人かのバニーガールの話から次の様な事が分かった。

 1.このカジノはノームという精霊が経営しているらしい。
 2.ノームは金に目がない。“金”は“金”でもカネではなくキンの方らしい。

「……つまり、みんなでノームに貢いでるってワケか」
 エミリアは小声で呟いた。問題は、何が目的でジョーカーがここに姿を現すのか、と言う事である。
 真っ先に思い付いたのは、ジョーカーが追い求めている“キューブ”をノームが持っている、或いはそれに関する何かを知っていると言う可能性である。
 実は“キューブ”について、エミリアは何も知らない。ルーファスが言うには大きなエネルギーを発生させるシステムに関係しているらしいが、ルーファス自身もまた実際にその目で見た訳ではないので結局はよく分からない。ただ1つだけはっきりしているのは、レンが最後に追っていた事件が“キューブ”絡みだったと言う事だけである。
 ──あの頃は、レンが死ぬなんて思わなかったのに……
 たった2年、である。初めて出逢ったのが3年前、モデルだけを狙った連続殺人事件の次の標的にされたエミリアの前に、担当の捜査官として来たのがレンだった。それがきっかけで2人は犯人逮捕後付き合い始め、婚約したのが1年前、しかしその直後にレンはジョーカーによって殺されたのだ。
 それからの事は思い出したくもない。床に横たわる血まみれのレンの死体、ノイズを流し続ける点きっぱなしのTV、わざわざ自分でデザインし宝飾店で作らせたお揃いのパープルアイの指輪は、自分の分だけが手元に残った。着る事の無かったウェディングドレスは、未だに捨てられずにいる。
 今のエミリアの願いは、この手でレンの仇を取る事である。だが、本当はレンが死んだ事を今でも信じたくないのだ。
「よう、エミリア!」
 しかしそんなシリアスな気分をぶち壊す、特徴的な口調の腹が立つ程陽気な声がエミリアを呼んだ。振り返ると案の定その名と同名の楽器を背負う、相変わらず能天気な笑顔を湛えたリュートの姿がそこにあった。
「随分色っぽいカッコしてるねぇ。仕事ってそれだったの?」
「〜〜何であなたがここにいるのよ!?」
 驚きよりも怒りが先に来たエミリアは、震える声で言った。が、リュートはそんなエミリアの様子を気にも留めず、けろっとして言った。
「今さあ、秘術の資質を取るのにカードを集めてるんだよね。そんでそのウチの1枚がここにあるって話なんだ。……あ、そうそう、ここのホテルでメイレンとクーンにも会ったぜ」
「……あの2人も来てるの……」
 エミリアは頭を抱えた。任務が入ったのでとりあえず適当な理由を付けて別れたにも拘らず、示し合わせた訳でもないのに何故同じ場所で顔を合わせるハメになるのか。
「──で、後ろの人は何なの?」
 どういう訳かリュートの後ろには見覚えのない青年が1人、冷めた目でフロアを眺めていた。背はそこそこある様だが、非常に長身なリュートとエミリアが揃っている為に、端から見ると実際より低く見えているだろう。結い上げた淡い金髪の先端は腰よりも下にあり、端正な顔立をしてはいるが人形を思わせる完璧な無表情で、サファイアブルーの瞳が冷たい輝きを放っていた。はっきり言って、リュートとは対照的な人物である。
「ああ、こいつはブルーって言ってさ」リュートは頷くと紹介した。「マジックキングダムの術士なんだと。ドゥヴァンでカードを貰ったときにたまたま居合わせてさ、それで。──ブルー、こっちは俺の仲間でエミリア」
「初めまして、エミリアよ」エミリアは努めてにこやかに、右手を差し出しながら名乗った。
「……ブルーだ」
 しかしぶっきらぼうにブルーは名乗るだけだった。どうやら本当にリュートとは対照的な人物らしい、ただエミリアを見ているだけなので、差し出した手が宙に浮く。そんな気不味い雰囲気に気付いているのかいないのか、リュートは全く変わらぬ調子でエミリアに聞いた。
「ところでさ、ノームって知らない? そいつらがカードを持ってるって話なんだけどさぁ、どのヘンにいるかわかんなくって困ってんだ」
「どう見てもその顔は困ってる様には見えないんだけど」
「しょーがないじゃん、これが地顔なんだから。なあ、知らないか?」
「ノームねぇ……」ため息をつきながらエミリアは言った。「私もさっきここのオーナーがノームだって聞いたけど、どこにいるかまでは知らないわ」
「──もしかして、あの妙な男と歩いているのがノームではないのか?」
 不意にブルーがフロアのある一点を指差して言う。2人がそちらを見ると、確かに絵本や映画で見る様な緑の帽子を被った“ノーム”らしき小さなヒゲの御仁とその後ろにもう1人、ボンデージ系の黒尽くめの服に道化を思わせる仮面を付けた男が一緒に歩いていた。それは……
 ──ジョーカー!!
 その姿を認識した瞬間、エミリアの頭からこれが任務であると言う事が吹き飛んだ。それを見越してたのだろうルーファスから“暴走するな”との忠告を受けていたが、それも記憶の彼方に消し飛んでいた。──しかし。
「どうした? エミリア」
 エミリアの変化を察知したのだろう、リュートがエミリアの顔を覗きながら声を掛けて来たおかげでエミリアは冷静に戻る事が出来た。今ここで騒ぎを起こすのは得策ではない以上、この2人に合わせた方がいい。
「ううん、何でもないわ」エミリアは首を振った。「それよりあれ、追い掛けるんでしょう? 私も行くわ」
「持ち場を離れてもいいのかい? 仕事中なんだろ?」
「これが仕事のワケないでしょう!」
 エミリアは思わず否定の言葉を口走り、リュートがきょとんとした顔をする。エミリアは慌てて誤魔化した。
「バレたらあなた達を案内してたって事にすればいいのよ。とにかく、見失わないウチに行くわよ!」


 …………


 その頃、メイレンは目を離すとすぐいなくなるクーンを何とか捕まえながら、目的の指輪の持ち主の滞在するホテルの一室にいた。
 指輪の主は言った。
「……カジノで全財産をはたいてしまって、残っているのは借金だけ。もう、おしまいです……」
「それで指輪を売る気になったのね」
 話を聞いて、半ば呆れながらメイレンは言った。「それならこのお金でもう1度勝負を賭ければいいじゃないの」
 処が指輪の主は更に顔を青くし、冷や汗まで流しながら首を振った。
「そ、それが……その指輪が、無いんです」
「ええー!?」
「何ですって!?」
 2人揃って声を挙げて詰め寄る。指輪の主は思わず1歩下がった。
「た、大切な指輪だから、しっかり金庫に入れておいたんです。ですが、あ、あなたがたが来る前に確認したら無くなっていて……」
「見せなさい!」
「は、はいっ!」
 メイレンの迫力に気圧されながら、指輪の主は慌てて金庫を開けた。
 確かに、金庫の中は空っぽだった。しかしよく見ると底面に小さな穴が開いており、そこから何故かネズミが顔を出していた。しかも更によく見ると、そのネズミが問題の指輪をくわえている。
「ああ〜、指輪だ!」
 クーンが反射的に声を挙げると、驚いたのかネズミはそのまま飛び出し、部屋の扉の隙間から逃げだした。
「指輪が!」
「待ちなさい!」

 大騒ぎの夜は、まだ始まったばかりである。


 …………


 エレベーター担当のバニーガールに仮面の男の事を聞くと、たった今、駐車場に下ろして来たばかりと言う事だった。3人はすぐさまエレベーターに乗り込んだ。
「なあ、エミリア」
 扉が閉じてすぐ、リュートは口を開いた。「ノームと一緒にいたヤツ、アレがエミリアの追っ掛けてる“ジョーカー”とかいうヤツなんか?」
 スクラップで初めて出逢った時、エミリアはついついリュートに乗せられて自分に降り掛かった一連の事件の話を──グラディウスの事を言う訳にはいかないので嘘と真実を織り交ぜながら──してしまっていた。だからリュートにそう聞かれても、素直に頷くしかなかった。
「……そうよ。だから私はここに潜り込んだの。あいつがここに出入りしてるって聞いたから」
「そんじゃ、ここで捕まえられればいいんだな」
「出来ればそうしたいわね」
 駐車場に降りると、3人は手分けして捜す事にした。その隙にエミリアは念の為アニーとライザに連絡を取る。
「エミリア、ブルー、ちょっと来てくれよ!」
 連絡して間もなく、リュートが2人を呼んだ。ただでさえ大きな声が、駐車場内に反響して余計大きく聞こえる。
 行ってみると、リュートはマンホールの前にしゃがみ込んでいた。
「ここのフタが開いてんだよ」
「それがどうした?」ブルーが冷たく言い放つ。
「普通こういうのって閉まってるだろ?」リュートは説明した。「てコトは誰かが開けたってコトだ。きっと誰かが下に降りたんだよ。それに、あの占い師が金ピカの洞窟にカードがあるって言ってたしね」
 秘術の手掛かりとなるカードをくれるアルカナ・パレスのあるドゥヴァンは、そもそもありとあらゆる種類の占い師が──それこそ占星術を始めとする古典的なものから、飲み干したコーヒーカップの底に残った形を占うと言う珍奇なものまで──店を構える事から“占いリージョン”として知られている。そしてリュートはカードを貰った際に、易学を扱う占い師の1人にその所在を占って貰っていたのだった。
「金ピカの洞窟……確かにノームのいそうな所だわね」
 エミリアは頷いた。しかもジョーカーはそのノームと共にいた。となれば、外よりむしろこの地下にいる可能性の方が高い。
「行ってみましょう。可能性が高い方に賭けるしかないもの」
「決まりだな。んじゃ行こうか」
 まず最初にブルーが降りた。それに続いてリュートが梯子に手を掛けたところで、エミリアを呼ぶ声が辺りに響いた。アニーだ。
「アニー! ライザ!」
 降りる間に着替えたのか、2人共いつもの任務用の服装になっていた。エミリアの姿を見付けると2人は駆け寄ろうとしたが、マンホールから顔を出したままのリュートを目にして驚いた。
「リュート!?」アニーが声を挙げる。「何であんたがここにいるの?!」
「え、知り合いだったの?!」
 その言葉にエミリアも驚いてそれぞれの顔を見比べる。リュートは頷くと、言った。
「こないだメイレン達とディスペアに行ったとき、この2人に案内してもらったんだよ。なあ?」
「そうなんだよ」アニーも頷く。「だけどまさか、こんな所でまた会うとは思わなかったよ」
「……私もだわ」
 ライザが呟く。それと同時に、下からブルーの怒鳴り声が響いて来た。
「リュート、エミリア! いつまでも喋ってないで早く降りて来い! 置いて行くぞ!」
 それを聞いて、ニヤリと笑ってアニーは言った。「……随分と、口の悪いヤツがいるんだねえ?」
「あいつ、俺の連れなんだ」ニカっと笑い返してリュートは言った。「そんなコトより、さっさと降りて捜そうや。早くしないと逃げられるかもしんないし、それにあいつおこりんぼだから、本当に先に行っちゃうかも」
「そうね、急がなくっちゃ」
 そして今度こそ下へと降りる。下水でも抜けて行くのかと思いきや、降りる途中で既に洞窟へと姿を変えていた。
「寒い!」
 ブルーと合流して早々、エミリアは叫んだ。地下洞窟だけあって空気がひんやりとしており、バニーガール姿のままだったエミリアにはかなり厳しい。
「何で着替えなかったの?」用意してあった銃を手渡しながら、アニーが言った。
「そんなヒマあるワケないじゃない!」
「そんならこれでもはおってる?」
 そう言いながら、リュートは自分の肩掛けをエミリアに被せた。肩に掛けていてもエミリアより更に背の高いリュートの膝下まであるので、エミリアはそれを身体に巻き付けた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
 所々に灯る明かりから、ここで何者かが生活している事が分かる。追跡は容易だった。地面が柔らかく湿っている為、足跡がくっきり残っていたからだ。その殆どはノームと思われる小さいものだったが、それに混じって人間サイズのものがあったので、一行は素直にそれを辿った。
「なあ、何か声が聞こえないか?」
 しばらく進んだ所で、リュートが言った。立ち止まって耳を澄ますと、確かに男の声が微かに聞こえて来るのが分かった。
「……君達が…………交換……、レートは……出そう」
 それは間違いなくジョーカーのものだった。一行は足を早め、足跡の続く先、その声のする方へと向かった。
 行き着いたのは黄金色に埋め尽くされた部屋だった。そこには沢山のノームがうろついており、そしてその先に──いた。
 ジョーカーを目にした瞬間、反射的にエミリアは走り出していた。制止する声も耳に入らない。視界からは、ジョーカー以外のものは全て排除されていた。
「そこまでよ、ジョーカー!」
 エミリアはジョーカーに銃口を向けた。ジョーカーがゆっくりとエミリアの方へと振り返り、あざ笑う様に言う。
「……君か。しかし君にその引き金が引けるのかい?」
「やれるわ。レンの仇を討つ」狙いをジョーカーに定めたまま、エミリアはきっぱりと言った。「その前に、1つ聞かせて。何故、レンを殺したの?」
「さあ、何故かな?」
「とぼけないで!」
 しかしジョーカーは面白いとでも言う様な含み笑いを洩らすと、懐から小瓶を取り出しその中身をエミリアとそれに追い付いたアニーとライザに向けて振り撒いた。それはきらきらと光りながら纏わり付いてくる。水の中に砂金を入れていたらしい。
 そしてノームはキンが大好きである。それは砂金であっても同じである。当然の如くノーム達は大喜びでエミリア達に群がって来た。その数に身動きが取れなくなったエミリア達を後目に、ジョーカーは暗く湿った洞窟へと身を翻した。
「逃げたわ!」
 何とかノームを振り払い、エミリア達はジョーカーを追い掛け始めた。ふと、リュートとブルーが付いて来ない事に気付いたエミリアが振り返ってみると、2人はノームと交渉を始めていた。
「金のカードをよこせ!」ブルーは半ば脅す様にノームに詰め寄っている。
「金のカードをくれよ〜」リュートはやっぱり歌う様な口調で頼んでいる。
「ああ、もう!」
 その様子を見て、エミリアは再び頭を抱えた。


 …………


 地下だけでなく、カジノでも追跡劇は繰り広げられていた。
 モンスターとはいえ指輪の力で人に近い姿を取っているにも拘らず、クーンは両手両足を地に付けた犬走りの状態でネズミを追い掛けて行く。スロットフロアではコインを撒き散らし、ルーレットフロアでは回転中のルーレット盤に乗ってしまって目を回しながらも、匂いを辿って確実にその後を追って行った。
 しかしメイレンはそうもいかない。ヒールを履いている上にこの人込みなので、既にクーンの姿ですら見失っていた。とはいえその通り過ぎて行った後には必ず混乱が残っていたので、それを辿りながらメイレンは上へ上へと駆け上がって行った。
 階段を上っていると、不意に上から大きな音が聞こえて来た。見ると階段の吹き抜けの天井に下がっていたシャンデリアが落下して来た。そしてそれが目の前を通過する瞬間、そこにクーンがしがみついていたのをメイレンは見逃さなかった。
「クーン?!」
 メイレンは、急いで手近なエレベーターに飛び乗った。


 …………


 ノームの部屋に男2人を置いて来たエミリア達は、足跡を辿りながら洞窟の更に奥へと進んで行った。
 しかし彼女達の胸には疑問と不安が沸き上がっていた。──何故ジョーカーは洞窟の奥を目指すのか?
「何か、イヤな予感がしない?」
「……するわね」
「あたし、このでっかい足跡が気になるんだけど……」
 アニーの言う通り、ジョーカーのものと思われる足跡とは別にもう1つ、大きな4本指の足跡が地面にくっきりと残っていた。この2種類の足跡の関係はともかく、この先に何かがいるのは間違いない。
「まてこの!」
 立ち止まるにも止まれず、迷いながらも走っていると、突然後ろから甲高い声が響いて来た。3人が思わず振り返ると、小さな子供が器用に四つん這いで何かを物凄い勢いで追い掛け走って来るのが目に入った。
「クーン!?」
 それはクーンだった。よく見ると何か光るものがその前を動いている。そして更に後ろからヒールを手に走って来たメイレンが、エミリア達の姿に気が付くと叫んだ。
「エミリア! そのネズミを捕まえて!!」
「え? え?!」
 突然の事に混乱している間にも、クーンと何かをくわえたネズミはエミリアの足元をあっという間に駆け抜けて行った。アニーとライザも咄嗟に捕まえようとしたが、獲物が小さいだけに取り逃してしまう。クーンはジャンプしてその上を飛び越えて行くが、ほんの僅かの差でネズミはその着地点から逃れていた。そして更に奥へと逃げ込み、ネズミを追う事に夢中になっていたクーンは何かに足を引っ掛け、思いっ切りすっ転んだ。
「うわぁ!」
「クーン!」
 やっと追い付いたエミリア達は、クーンに駆け寄った。「クーン、大丈夫?」
「イテテ……」
 クーンは鼻をさすりながら立ち上がると、自分が足を引っ掛けたモノに向かって言った。
「んもー、これジャマだなー」
 その瞬間だった。何かの目が光り、何処からかジョーカーの笑いが響いて来た。
「かかったな、巨獣の餌食となれ!!」
「ジョーカー!!」
 光る目の正体は巨大な獣だった。オウミで出くわしたあのイカの化物ぐらいはありそうだ。その指は手足共4本、あの大きい方の足跡の主である事に違いない。手を横に薙ぐとその爪がエミリア達の頭上を掠めていき、そしてその頭上にジョーカーの姿を見付けたエミリアは叫んだ。
「この卑怯者っ、降りて来て自分で戦いなさいよ!」
「生憎と私は戦闘向きではないのでね。さらばだ!!」
「ふざけんな!……ちっ」
 ジョーカーは鼻で笑うと言いたい事だけを言って逃げて行ってしまった。その背中にアニーが罵声を浴びせるが、巨獣の尻尾に襲われ慌てて避ける。
「何なのよ、これ〜〜」
「指輪が!」
 エミリアとメイレンが同時に嘆く。おまけに2人共戦闘向けの格好ではない為に迂闊には近付けず、仕方無くそれぞれ銃で応戦する。だがシックル使いのアニーはともかく、その外見とは裏腹に合気道の達人であるライザや、本来の姿に戻ると更に小さくなるクーンは、大き過ぎる相手に難儀していた。
「ねえ、逃げた方がよくない?!」
 獣の手首を切り落としながらアニーは叫んだ。大きいだけに小回りが利かない事は見て取れたので、ジョーカーを追うエミリア達にとってはその方が得策ではあった。しかし指輪を捜すメイレンとクーンはそうもいかない。これを相手にしながらあのネズミを捜すのは用意ではない。しかしメイレンはある事を思い出すと、クーンに向かって言った。
「クーン、隠者の指輪を掲げなさい!」
「わかったぁ!」
 言われて素直にクーンははめていた指輪の1つを掲げ、それに合わせてメイレンは呪文を唱えた。すると獣は攻撃の手を止め、戸惑った様に辺りを見回し始めた。
「……何が、起きたの?」恐る恐る、小声でエミリアは呟いた。
「私達の姿があの獣の目に映らない様にしたの」同じく小声でメイレンは説明した。
「これがこの指輪の効果。効果範囲がどのくらいなのかはちょっと分からないけれど、今のうちにあなた達はここから逃げて。私達はこのまま指輪を捜すから」
「分かったわ」
 声を頼りに獣が腕を振り回す。それを避けながら頷くと、エミリア達は直ぐ様その場を離れるべく走り出した。
「とにかくさっきのノームの所へ行きましょう」ライザが言った。「あの巨体ではあそこには入れない筈よ」
 やがて指輪の効果範囲の外に出てしまったのか、獣が目に映る様になったエミリア達の後を真っ直ぐに追い掛け始めた。更に走る速度を上げて来た道を戻って行くと、今度は前方からリュートの間延びした声が聞こえ、やがてリュートとブルーの姿が視界に入るとエミリアは2人に向かって叫んだ。
「逃げてっ!!」
 それを聞いてリュートは始めきょとんとした顔をしたが、地響きで危険を察知したのだろう、徐々にその表情が固まっていった。しかしブルーが何かを呟くとリュートは頷き、荷物から短剣を取り出した。
「落ち着いてないで早く逃げなよっ!」
 すぐ傍まで来たアニーの言葉に、リュートはいつもより少しだけ早口で答えた。
「ちょっと俺達にやらせてくれる? もし倒しきれなかったら、そん時は援護よろしく」
「援護ってちょっと、何するつもり?!」
 しかしもうリュートは聞いてなかった。代わりに手にした短剣が長剣へと変化する。それを目にしたエミリア達の驚きをよそに、リュートはブルーに言った。
「行くぜ、ブルー」
 右手を前に差し出し、既に詠唱を始めていたブルーは頷く事でそれに答えた。緑色の光が彼を包み込み、やがて収縮して極限まで掌に集中したその瞬間、
「Inplosion!」
 ブルーが術を放つと同時にリュートは獣目掛けて走り出す。獣の身体を術の膜が覆い、その内側で光が爆発する。次の瞬間リュートはその脇を駆け抜けながら切り払い、返す刀で更にもうひと太刀浴びせる。
「やった?!」
 だがそれでもまだ獣は倒れない。しかし毛皮は焼け皮膚は爛れ、先程アニーに切り落とされた手首だけでなく、リュートに斬り付けられ辛うじてくっついているだけの足の付け根からは多量の血が流れている。1人向こう側にいるリュートが叫んだ。
「頼む!!」
 アニーはシックルを握り直すと風刃を放ち、ライザが足払いを掛ける。そしてエミリアは銃を構え、眉間を目掛けて集中連射した。
 ぐらり。獣の身体が傾くと、振動が辺りに響き渡った。


 …………


「──いつの間にかあんたらの姿がなくなってたからさ、慌てて捜したんだよ。でもまさか、あんなのがいるとは思わなかったけどな」
「……それで、お目当てのモノは手に入ったの?」
 いつもの様にしれっと話すリュートに、げんなりしてエミリアは聞く。まさか一見ひょろりとして頼りなさそうなリュートから、あの様な攻撃が出るとは思わなかったからだ。
「ああ」にかっと笑ってリュートは頷いた。「あいつがばらまいた砂金のおかげでノームの方も機嫌がよくってさ、特別に奮発してあげようとか言ってあっさり出してくれたよ」
 ほら、と言いながらリュートは1枚のカードをエミリアに見せた。そこには、金貨の絵が描かれていた。
「へえ、これがそうなの?」
「うん」
「ナニこれ、さっきのが倒れてるよ!?」
 奥の方からクーンの声が響いてくる。見ると、メイレンとクーンが獣の向こう側から現れた。
「あら、本当」
 クーンの言葉にメイレンは頷き、そしてエミリア達に気付くと獣を指差しながら聞いた。
「これ、あなた達が倒したの?」
「そうだよ」アニーが答えた。「それより、お姉さん達は探し物、あったの?」
「おかげさまでね」獣の脇を注意深く歩きながら、メイレンは言った。「それで他にも指輪が落ちてたんだけど、誰か落とさなかった?」
 そう言ってメイレンはその指輪をエミリア達に見せた。それはパープルアイの指輪だった。エミリアは慌てて自分の左手を見たが、しかしそこにはちゃんと指輪が嵌っていた──メイレンが拾ったのと、同じ指輪が。
「──まさか、私がレンに贈った物じゃ……」
「え?」
 全ての視線がエミリアに向けられる。エミリアは、メイレンが拾った指輪を自分の指輪と並べてみせた。
「これ、おそろいで作らせた特注品なのよ。だから他に同じものはないハズなのに……」
「ホントだ、おんなじだ」隣でリュートが頷いた。
 暫しの沈黙、やがてそれを破ったのはアニーだった。
「……きっと、ジョーカーが殺した時に盗んだんだよ。アイツの作戦かもしれないよ、エミリアの動揺を誘う為にさ」
「ちょっと無理があるけど、ありえないと否定も出来無いわね」ライザがそれに同調する。「正体がレンさんだと思わせる為に。案外手段を選ばなくなって来たって事かしらね」
「だと、いいんだけど……」
 エミリアは困惑していた。だがジョーカーがレンだとは思えないし、思いたくもない。それに何より、エミリアはレンの死をこの目で見ているのだ。
 ──どうして、ジョーカーが……
 それが、最初の疑惑だった。
end
よんだよ


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