“ここではない、どこかへ”



 買ったばかりのカメラが入った袋を胸に抱え、ウェントは店を出るとたまらず走り出した。
 念願の“自分の”カメラ、である。物心付いたばかりの頃、何気に覗いたファインダー越しの世界に魅せられて以来、ウェントは何かを“撮る”事が好きだった。慣れ親しんだ風景なのにレンズを通して見ると全く違う世界がそこにある、その感動が忘れられず、親のカメラを勝手に持ち出しては怒られながらもこつこつと小遣いを貯め、そうしてようやくこの日が来たのだ。喜びに浮かれた身体は羽根の様に軽く、走るというより飛んでいる様な気分だった。
 目指すは山の麓にあるレンジャーの番小屋だ。そこにはこの地区担当の若いレンジャーが1人常駐していて、ウェントは仲間達とほぼ毎日の様に遊びに行っていた。この日もいつもの様に勢い良く扉を開けると、1人を覗いた仲間達がテーブルを囲んでココアを飲むおなじみの光景がそこにあった。
「やっぱりウェントだ」
 ウェントが中に入ると同時に、腰までもある長い髪のマルヴェラがレンジャーのクルトに向かって勝ち誇った様に言った。「ね、言ったでしょ?」
「約束通り、行ったらよろしくね」
 マルヴェラの双子の姉妹、こちらはおかっぱ頭のマルヴェルがそう言うと、クルトは1度見たら忘れられない程強い印象を与える鮮やかな赤い髪を掻き揚げ、いやいや頷いた。
「〜〜あーはいはい、“エレンディラ”のクッキーね。解りましたとも」
 そしてクルトは立ち上がるとウェントの方へ向き直り、ココアの入ったコップを指差しながら言った。「今日は遅かったんだな。飲むか?」
「あ、うん」いつもの場所に座りながら頷きながらも、沸き上がった疑問を口にする事をウェントは忘れなかった。
「なあ、何でオレがクッキーと関係あるワケ?」
「カケてたんだよ」
 答えたのはイアンだった。しかし読んでいる本から目を離したりはしなかった。
「は?」
 とウェントが間抜けな声を出すと、そこでやっとイアンは顔を上げ、ウェントを見た。
「ウェントとモンド、どっちが先に来るかでカケてたの。もうすぐクルトがマンハッタンまで出掛けるから、それならおいしいってウワサの店のクッキーをカケようって、マルヴェルが言ったんだ」
「あたしじゃないわ、マルヴェラよ」
「何言ってんの、マルヴェルだって食べたいって言ってたじゃん」
 イアンの間違いを速攻でマルヴェルが正し、更にマルヴェラもそれに対して言い返した。
「でも、ホントはケーキのほうが良かったんだけどな。だけど日持ちしないっていうからさ」
「ここからマンハッタンまで何日掛かると思ってる」
 ウェントの分のココアの入ったコップを持ってクルトは言った。「運良くたまに出てる直通便に乗れたとしても、片道だけで1日だぞ。いつものクーロン経由なら3日だ。大体お前らは忘れてる様だが、オレは仕事で行くんだぞ!?」
 クルトは生まれも育ちも生粋のヨークランド人だが、その身分はマンハッタンに本部を持つこのリージョン界を統率する組織、トリニティの役人である。
 彼の職業である“レンジャー”とは、人々がモンスターに襲われない様に監視し管理する者達の事である。これでも彼はトリニティの養成学校を首席で卒業したという、本来ならば“エリート”に属する筈の人間なのだが、その実体はそういったものを全く感じさせない、人好きのする面倒見のいい気さくなお兄さんである。
 同期の中でも特に将来を有望視されていた彼が、周囲の引き止める声を全て無視して故郷でのレンジャー稼業を選んだのは、生態を始めとするモンスター等の研究を行なう為だった。そもそもヨークランドのモンスターは他のリージョンに比べて攻撃性が低く、良くも悪くも人間慣れしている為、この地のレンジャー達が普通なら最大の仕事になる筈のモンスター退治に出る事は滅多に無い。故にかなりヒマであり、つまりクルトはそれを狙ったのだった。
 そして今回彼がマンハッタンに向かう事になった“仕事”とは、2か月後に迫った収穫祭の為の警備関連の打ち合わせの事だった。この収穫祭、特にそのイベントの1つとして行われる酒蔵のお蔵出しを目当てに観光客が押し寄せる為、レンジャーや自警団だけでは賄い切れない分の警備用の人員をトリニティから駆り出して来る、というのが毎年この季節のヨークランドレンジャーの仕事になっていた。これは毎年レンジャー達の間で持ち回りで行っていて、それが今年はクルトに回って来たのだった。
「そーか、そーだったのか!」それを聞いてウェントは声を上げた。「そんならもっと早く来て頼めばよかった〜〜っ!」
「何を?」
「これだよ、これっ!」
 イアンがのんびりした調子で聞くと、ウェントは抱えていた袋からカメラを取り出してみせた。「ちくしょー、しまった〜〜」
「なぁに、また勝手に持ち出して来たの?」
「ちがうっ!!」からかう様なマルヴェラのセリフに、ウェントは力一杯否定した。
「買ったに決まってんだろっ。やっと金貯めて買ったんだけど……まずった〜〜」
「だから俺は仕事で行くっつってんだろーが! 人の話を聞け!!」
「こんちわ〜」
 クルトが叫ぶのと同時に、開いた扉からモンドが現れた。ウェントはクルトの肩越しにその姿を目にすると、声を掛けた。
「……よお、モンド」
「遠くまで声が響いてたぞ。いったい、何騒いでんだよ?」
 半ば呆れながらモンドは言った。クルトは咳払いを1つするとモンドにもココアを飲むか尋ね、またキッチンに引っ込んだ。そしてやはりいつもの場所にモンドが座ると、ウェントはそちらへ身を乗り出した。
「なあ、聞いてくれよ」
「何?」
「こいつら、オレとお前のどっちが先に来るかっつってカケしてたんだぜ。ズルイと思わねえか?」
「えぇ?」モンドは眉をひそめた。「何カケたんだよ? それにもよるなぁ」
「“エレンディラ”のクッキーよ」
 マルヴェルが答える。そしてみんなでモンドにそこに至るまでの話をした。
「……あー、そーいうコトね」それを聞き終わるとモンドは頷いた。「それでお前はクッキーよりカメラのがよかったってワケだ、もう買っちゃったってのに」
「〜〜べつに、買ったのを後悔してるんじゃないぞ」ささやかながらも抵抗する様にウェントは言った。
「だけどさ、せっかくタダで買ってもらえそーなチャンスをのがしたかと思うとさ、やっぱくやしいじゃん?」
「そりゃそうだけどさぁ」
「……お前らなあ、俺に何度同じコトを言わせれば気が済むんだ?」ココアの入ったコップを叩き付ける様にテーブルに置きながら、クルトは言った。「俺がマンハッタンなんぞまで行くのは遊びでも買い物の為でもない、仕事の為なんだぞ!」
「あー、はいはい」
 クルトの怒りを聞き流してウェントは投げやりに頷くと改めてモンドの方に向き直り、聞いた。
「そーいやお前、今日再検査だったんだろ? どんなんやったんだ?」
「んー、多分、何かの反応を調べたんだと思う」首を傾げながらモンドは答えた。
「いろんな機械をつけさせられてさ。でもどうせ結果が聞けるのはみんなと一緒だから、何をやったのかはわかんないけどね。……ん?」
 “再検査”の言葉が出た途端、双子の姉妹が慌て出した事にモンドは気が付いた。更に視線をずらすと、クルトの表情が固まっていた。
「……どしたん?」
 おそるおそるウェントが聞くと、クルトは固まった状態のまま口だけ動かした。
「……再検査……って、13才の“アレ”か?」
 無気味な迫力に気圧されながら、ウェントとモンドは頷いた。
 トリニティはその統制下にある、あらゆるリージョンに住む全てのヒューマンの子供に対して必ず検査を行わせていた。それは3才と13才の2回に分けて行われ、特に13才の時には体力や知能、術への適性など多種多様な観点から調べられる。この年ウェント達は丁度13才であり、1週間前にその検査を受けていた。そしてモンドは何らかの理由で引っ掛かった為に、再検査を受けるハメになったのである。
「……お前ら、知ってたのか?」
「えーと、そのぉ……」
「あはははは……」
 マズイと思ったのだろう、マルヴェル・マルヴェラ両者共に笑って誤魔化そうとした。クルトはもう1人の共犯者、イアンにも疑惑の眼差しを向けたが、しかしイアンはしれっとして言った。
「知ってたけど、ぼくもそのクッキーを食べてみたかったから黙ってた」
「〜〜〜〜お〜ま〜え〜ら〜なぁ〜〜〜っ!!」
 そこでとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。クルトは握り拳を作り、地の底から聴こえて来る様な声を出した。
「だぁってぇ、普通に頼んだって買ってきてくれないんだもん〜〜」
「たまにはいいじゃない、あたしらじゃ行きたくったって行かせてもらえないんだからさっ」
「まーだガキなんだから当たり前だろーがっ。とにかく、そういう事ならこの賭けはナシだっ!」
「ええ────っ!?」
 クルトの宣言に、子供達は非難の声を上げた。しかし当然クルトはそれに抗弁する。
「やかましい、だったら最初っからフェアにやれ、ヘタな悪知恵なんか働かすんじゃない! 大体、検査の後ならそれらしくそっちの心配でもしてろってのっ」
「何でさ?」
 ウェントが聞くと、クルトはやれやれとでも言いたげに首を振りため息を付き、それから真面目な顔を作ると言った。
「この検査の目的はな、優秀な才能があるヤツを見付け出す事にあるんだ。それで何か1つでもそれが認められれば補助金が出たり、他のリージョンへ留学出来たりする──まあ、大抵マンハッタンやシュライク辺りだがな。中でも最初っから何かの術の資質を持ってるヤツは、系統や種類に関係なく、間違い無く研究所に行かされる事になる。……そうだな、再検査を受けたんだったらモンドはヤバイだろうな」
「〜〜どうして?」
 意地の悪い笑みを浮かべて言うクルトにモンドは露骨に嫌な顔をした。しかしクルトはそれを気にする事も無くさらりと答えた。
「再検査なんかするのは殆ど術関係なんだよ。資質を取るカラクリが分かっている場合、それを研究するには研究者本人が資質持ちの方が都合がいい。なんたって資質の無いのを訓練する手間が省けるからな。だがそうでない場合は、資質持ちよりも高い適性がある奴の方が重宝される。……つっても、やっぱり資質持ちが必要な事には変わりないけどな」
 そこでクルトは一旦言葉を切った。そして更に真剣な顔で子供達の顔を見ると、先を続けた。
「だがそれ以上に問題なのは、資質持ちはわざわざ勉強しなくても術が使える様になるって事だ。言っちゃ何だが術ってのは、一種の兵器だ。そんなのを野放しにはしておけないからこそ、どうしても管理する必要が出て来る。だから資質持ちを探すのに必死なんだよ」
「じゃあ、何で3才のときは平気だったんだよ?」
 ウェントの問いに、クルトはニヤリと笑った。
「時々、後から資質が発現する奴がいるんだよ。そう、特に魔術や心術なんかに多い傾向があるな。だから術関係の検査は特に念入りに行われる。例え資質が無かったとしても、そのうち自然に資質持ちになる可能性がある奴を見付けておいてソンは無いからな。そしてそういう奴等が“術への適性がある”って判定されるんだ」
「……そう判定されるだけですむといいなあ」
 モンドは呟いた。術への興味が薄い彼にしてみれば“資質所有者”と判定され、研究所でひたすら勉強・研究の日々を送ると言うのはあまり楽しい未来では無いからだ。
「そうは言ってもお呼びが掛かるのは今言った連中ぐらいなモンだ。何もこなけりゃこれまで通りなんだし、とりあえずはそれが来ない様に、天使様にでもお祈りしとくんだな」
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
 クルトの言葉にモンドは頭を抱えた。ウェント達にしても笑うに笑えない。祈るだけで望んだ様になるのなら、誰も苦労は無いのだから。


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